今日は、雨の土曜日。
京都市街に用事があったので、昼前から雨の京都の街を 紅葉を愛でながら歩きました。

本日のウオーキング歩数、26,211歩。

2006年12月9日(土)




電車で京都駅へ。
ちょうど、ホームへサンダーバードが着いたところでした。



サンダーバードはいい顔してます。(#^.^#)



富山行き。
富山にはずいぶん長らく行っていません。



枳殻邸・渉成園へ。
今までは入場フリーだったのに、「協力寄付金」がひとり500円以上に変わっていました。(T_T)
仕方なしに500円を払って園内に入りました。



雨の渉成園。
とっても素敵です。



落ち葉のじゅうたんの向こうには傍花閣の姿が。



園内をゆっくりと歩みます。



侵雪橋。



雨の枳殻邸・渉成園。
風情があります。



回棹廊。



素晴らしい紅葉。



春日灯籠。



侵雪橋を渡ります。



卯月池。



卯月池の島。
池には南北二つの大きな島がありますが、この二つの島はほぼ同じ高さ。
これらは、回棹廊北側の築山も含めて園の北東から南西方向へ一直線に並んでいます。
古地図研究により、秀吉が天下統一の象徴として行った都市改造である「御土居」(おどい)のラインが、この卯月池の島や回棹廊北側の築山とピタリと一致したのです。
あくまで推測の域を出なかった「御土居説」が現実だったと判明しました。
徳川家光から周辺の土地を寄進された当時、渉成園の造営を想定して御土居とその外側を流れる高瀬川の流路を東側に変更されていたことも判明しています。



さほど広くない園内。
ゆっくりと風情を楽しんで歩かなくては。



偶仙楼。



紅葉の盛りは終わったものの、それでも風情ある紅葉。
その紅葉が水に映えます。
この水は琵琶湖から来ているので、池には琵琶湖の生態系が再現され始めているそうです。



漱沈居。



枳殻邸を後にし東本願寺へ向かいます。



東本願寺境内へ。



お参りを終えました。
堂内を巡っているとこんなものが。
新潟の刈羽から木材を運ぶのに使われていたものだそうです。



説明板。
1864年に蛤御門の変で焼失した東本願寺は、それまでも三度に渡り焼失。
再建の都度、こうして各地から材木が調達されていたことでしょう。
大きなお寺の建設に携わった人達の苦労がしのばれます。



東本願寺境内を後に。



倉敷を思わせる風景・・・・・、かな?
私は倉敷に行ったことは行ったのですが、その時の街並みは全く記憶にありません。(^_^;)



西本願寺に少しだけ寄ってから三条通りを西進。
銭湯の立派な建物を見かけました。



この辺りは初めて歩きます。
「八坂神社御供社」前通過。
この後、西大路通りを北上し用事を済ませました。



用事を追え更に北上。
高野悦子さんが生涯を終えた場所着。
しばし たたずみます。
当時のことを思い出し胸が熱くなってきました。



高野悦子さんが線路に入ったと思われる天神踏切の跡地。
当時は「車も通れない小さな踏切だった」と、以前ここに来た時に地元の人に教えてもらいました。
今では線路は高架になり、天神踏切跡はこのような道路になっています。



紙屋川に沿って北上。
この紙屋川の東側には御土居があったのですが、今では一部を除きその痕跡もありません。



宵闇迫る頃、北野天満宮着。
美しい紅葉が目に飛び込んできました。



盛りは過ぎたとはいえまだまだ美しい紅葉。



きれいに紅葉しているカエデは、実は御土居の上に生えているのです。
神社仏閣の中では、まだ御土居が一部残っている場所があるのです。



北野天満宮境内を周ります。



渡邊綱が寄進した灯籠。
一条戻り橋の鬼を退治しようとした綱は、鬼に空中高く持ち上げられます。
鬼の腕を斬った綱は、ここ北野天満宮の建物の上に落下しますが、奇跡的に助かります。
そのことを感謝して、渡邊綱はここ北野天満宮にこの灯籠を寄進したのです。
ちなみに・・・・・。
腕を斬りおとされた鬼は愛宕の方へ飛び去ります。
「愛宕」というのは今の化野(あだしの)付近だと考えられます。



灯籠の説明。
だれも見向きもしないような灯籠ですが、「知る人ぞ知る」です。



境内の大黒天。
これまた面白い話しが伝わっています。
本殿門手前にあるこの大黒天の灯篭。
大黒様の鼻の穴にうまく乗せた小石を財布に入れておくと、お金に困らないとされています。
そのおかげで、この大黒天様の鼻の穴といったら。(@_@;)
二つの鼻の穴がつながってしまうほどに。




大黒天の下には鼻の穴に入らず転がってしまった小石が常に見られます。



北野天満宮境内を後に。
御土居から出土した様々な地蔵さま。



北野天満宮の少し北にある御土居跡へ。



これらも御土居から出土したもののようです。



この右側が御土居の内側、つまり洛中。
左側は御土居の外側、つまり洛外とされていました。



平野神社通過。
さて帰路に。




雨が降る京都。
それはそれでとっても素敵です。
歴史のロマンを秘めた京都。
そんな京都に興味が尽きることはありません。



ホームに戻る










































inserted by FC2 system