今日は、第7次高野街道探索。
いよいよ東高野街道ウオークのフィナーレ。
慈尊院〜大門間の町石道(ちょういしみち)24kmを駆け上がります。

高野山町石道は「高野七口」と呼ばれた高野山の参拝道7本のうち、弘法大師空海によって高野山の開山直後に設けられた参詣道で、高野山への表参道。

道には、弘法大師が慈尊院から高野山までの道沿い一町(約109m)おきに、参拝者の道しるべとして木製の卒塔婆を建立したとされています。
1266年以降整備され、朽ち果てた卒塔婆に代わって石造の五輪卒塔婆が建立され、今でもほぼ完全な形で残っています。

自宅から駅までの往復の距離、九度山駅から慈尊院までの距離、それに大門から奥の院までの距離を合計すると、およそ36kmのウオークになりました。

本日のウオーキング歩数、50,157歩。

2006年12月24日(日)



朝4時前に起床。
いつもよりかなり早い朝食を摂って自宅を出発。
♪友よ 夜明け前の 闇の中で〜
 友よ たたかいの 炎をもやせ♪
♪夜明けは近い 夜明けは近い
 友よ この闇の 向こうには〜♪
♪友よ 輝く あしたがある
などと懐かしい歌を思い出しながら暗い中を歩いて、京阪電車・宇治駅着。



中書島行きの始発電者に乗ります。
駅構内へ。



始発電車は5時33分発。



出発進行〜。
ガラ空きの車内。



中書島から急行に乗り北浜駅で下車。
北浜からは地下鉄堺筋線で南海・天下茶屋駅へ。
天下茶屋からは南海電車に乗り換え、急行電車で橋本を目指します。



南海電車の車内で日の出を迎えます。



天気はよくなるはずですが、雲がかなり多め。



なかなか日の出が拝めません。



薄っすらと霧が出ている場所もあるようです。



日の出を見ないまま明るくなった橋本駅着。
高野線の電車に乗ります。



高野線電車の車内。
車両の両端に4つの座席が向かい合わせになった場所があったので、そのひとつに陣取ります。



川を渡ります。
何と言う名前の川か分からりませんでした。
しかし、後になって地元の猫夜叉さんから「紀ノ川の源流だ」と教えていただきました。
万葉集にも出てくる紀ノ川の最上流に近い場所だそうです。



学文路(かむろ)駅通過。



九度山駅着。
時刻はまだ午前8時を少し回ったばかり。



いい天気になって来ました。
九度山郵便局前通過。



九度山郵便局でUターン。
真田庵へ向かうことに。
立派な松がありました。



「真田の抜け穴」の近くにこんなものが。



「真田の抜け穴」の囲い。
この囲いの中に入っていけないのではなく、中に穴があって危険なので柵があります。
ゆえに、柵には鍵はかけられていません。



この「真田のぬけ穴」は真田庵から200m辺りにあり、地元の人々はこの地点から真田庵までを真田氏の造ったぬけ穴と信じて「真田のぬけ穴」と呼んでいました。
しかし、1953年の発掘調査で、この穴は古墳時代後期に造られた横穴式石室をもった円墳であることが判明しました。



真田庵着。



真田庵(善名称院)へ。



「真田幸村」と刻まれています。



本尊の弥勒菩薩が安置されたお堂。



「慶長年間、幸村公が閉居中真田屋敷に落ちた雷をとりおさえて井戸に封じ里人の難を救ったと云ふ」。(看板資料より)



これぞ雷封じの井!



ズーム。



戦国の武将、真田昌幸・幸村父子は慶長5(1600)年に関ヶ原の戦で西軍に味方して敗れ、高野山に配流の身に。
しかし幸村が奥方を連れていたため、女人禁制の高野山ではなくここ九度山で蟄居生活をしました。
昌幸は再起を願いながらこの地で65歳の生涯を閉じましたが、幸村は慶長18(1614)年に子の大助ら一族と共に九度山を離れ大阪城に入城。
大阪冬の陣、夏の陣で奮戦、元和元(1615)年茶臼山付近で壮烈な最後をとげました。
その後、江戸中期の寛保元(1741)年に大安上人によって善名称院(真田庵)が創建され現在に至っているそうです。



境内には真田地主大権現があります。
私が境内に入った時に、ここの方が大権現にお水を備えに出てこられました。



真田庵を後に。



慈尊院・丹生官省符神社へ向かいます。



風景を楽しみながら の〜んびりとウオーク。



歓迎看板がお出迎え。



こんな風景を見ながら旧街道を歩いていると、「生活は豊かにはなったけれど、私達はひょっとして大切な何かを失ってしまったんじゃないかなあ」って思えてきます。
こんな旧街道の風景、いつまでも残ってくれたらいいのになあ・・・・・。




慈尊院橋着。



境内へ。



ご本尊に町石道での無事を念じます。



安産などを念じる乳房の絵馬。
安産などを祈願し、羽二重で綿をくるんで中央を絞り上げて乳首のようにした中に米などを入れ、自分と同じ大きさにかたどった上で台につけます。
母になる願いを書き込んだり、般若心経をぎっしり書き込んだ絵馬もあるとか。
一時は奉納が減っていたのですが、最近は子育てをはじめとして社会不安が増してきたからなのか、こうした昔の慣わしが見直されるようになり奉納が増えているそうです。



多宝塔横通過



丹生官省符神社へ。



丹生官省符神社へ向かう階段の途中の右側に、高野山町石道に180町石がひっそりと立っていました。



初めて見る町石。
180町石です。
町石は町石道の象徴。
標高94mの慈尊院から同815mの高野山壇上伽藍を経て高野山奥の院弘法大師御廟に至る高野山への表参道が、町石道なのです



階段の途中から振り返ると、慈尊院境内とその向こうには橋本の家並みが。



119段の階段を上がりきりました。



丹生官省符神社境内へ。
なぜか犬が2匹いて、私を思い切り吠え立てます。(;一_一)
犬を無視して大きな絵馬の前に。
空海が真言密教の根本道場にふさわしい場所を探していると、黒白2匹の犬を連れた狩人に出会います。
狩人の連れてた犬が空海を丹生都比売神神社に導き、丹生明神のお告げで高野山へ。
この狩人は、じつは丹生明神の子どもである高野山御子で、「高野山」という名前はこのことからつけられたそうです。
この絵馬は、その時の出会いを表しています。



拝殿。



来年の干支は猪。



179町石横通過。



名前が気に入ったので、町石道の途中にある勝利寺(しょうりじ)へ寄ってみることに。



強烈な傾斜の階段
言ってみれば、「暗峠(くらがりとうげ)大阪側からの自転車での上り・お寺版」って感じです。
段数がさほど多くないのですが、それでも強烈な上り。



手すりに助けられて階段を上りきりました。
立派な仁大門をくぐることに。



スポーツや勝負ごとに勝つことを祈願する寺として親しまれているここ勝利寺は、紙すき体験施設や和凧をはじめ和紙工芸品を展示した「紙遊苑」が隣接してあります。



町石は全て撮影しましたが、それぞれの町石が何町石なのかさっぱり分かりません。
青空が美しい場所に町石発見。



結構強烈な上りが続きます。
汗だくになりそうだったので、ここで上着を脱いで半袖Tシャツ1枚に。
これって真夏の服装では!?



抜けるような青空を眺めながら標高を稼ぎます。



展望が広げました!
素晴らしい。



時おり聞こえるのは、電車の警笛のみ。
あとは私が落ち葉を踏みしめる音だけ・・・・・。



素晴らしい町石道。



乳白色の霧に包まれた美しい「下界」。



緩やかになった傾斜。
ミカンと柿の畑の間を展望を楽しみながらテクテク。



165町石と思われる町石。



展望台へ寄り道。



視界を遮るものは何もない展望台。
素晴らしい眺望が広がります。



展望台にある九度山町イラストマップ。



展望台を後にして更に標高を上げることに。
ミカンの無人販売所がありました。
お金を入れる缶には鍵はかかっていませんが、ミカンをガードする網がかかっていました。
鳥などを防ぐ網だと思われます。
街道walkerさんのHPで100円玉の必要性を教えていただいていたので、当然100円玉は用意済み。
小粒と大粒の2種類あるミカンのうち大粒の方を選択して購入。
1袋100円也。



青空に町石が映えます



素晴らしい眺望が広がる上りも間もなく終わり。



町石道は林の中へ。



眺望がなくなったので、のんびりウオークから速歩に切り替え。
どうやら九度山町を越えて かつらぎ町に入ったようです。



かなり歩いて六本杉着。



六本杉は、二ツ鳥居(大門)方面と丹生都比売神社方面との分岐点。



二ツ鳥居着
休憩所でカップ麺の昼食を摂ります。
時刻は午前11時。



二ツ鳥居の説明。



二ツ鳥居は、南海電車高野線・上古沢(かみこさわ)駅との分岐。



白蛇の岩を越えてしばらく行くとゴルフ場のコースが見えてきました。




町石道の説明。



地蔵堂。



道端の地蔵さまを見ると疲れが癒される気がします。



多少のアップダウンはあるものの快適な道が続きます。



行程の半分を越えた!



一部ぬかるんだ場所もありますが、ほぼ全線このようにきちんと整備されています。
とっても歩き易い道。



積もった枯れ葉を踏みしめると、サクサクと乾いた音がします。
そんな音を聞きながら速歩。



みまもり地蔵さまが、参詣者の安全を見守って下さっているようでした。



国道480号線につき当たりました。
矢立に着いたようです。



矢立茶屋で、高野山名物の焼餅をいただきます。



すでに焼いてある焼餅を袋から出し、カセットボンベ式のコンロで焼きます。
焼餅2個と抹茶のセットで500円。
焼餅だけなら2個で210円でしたが、せっかく高野山まで歩いてきたのですからセットを注文することに。



焼餅をおいしくいただいたので、さて出発。
ここから先は、かなりの登りとか・・・・・。



汗をかきながら登り道を歩き、55町石横にある袈裟掛石着。



袈裟掛石の説明。
弘法大師がこの場所で同行の母親に「この先は女人結界である」と説明しようとした際、この石に袈裟をかけたそうです。



石の下に空洞があり、そこをくぐると長生きするとか。
くぐろうかと思いました。
でも、くぐれないことはなさそうですが、かなり狭い空洞。
服が泥だらけになりそうなので諦めました。



袈裟掛石が結界になります。
弘法大師の母が女人結界を越えようとした瞬間激しい雷雨になり、火の雨が降り注ぎました。
母を守るために大師は近くの石を持ち上げ、その石の下にかくまったそうです。
その石が押上石なのです。



押上石。



押上石には弘法大師の両手の形とされる形のくぼみが今でもこうして残っています。



53町石。
もう127町を歩きました。



町石道の説明。



連なる山並み。
「和歌山は山国なんだなあ」って実感する風景。



国道480号線を再び横断。



高野町に入ったようです。



道路を渡ると再び急な斜面。



急坂が終わり平坦路に。



速歩で歩きますが、町石前では全て立ち止まり写真を写しました。



町石道の真髄のような風景を眺めながら歩きます。



12町石の少し手前から急な登りになり、国道前の最後の急な階段。
国道沿いにある大門の駐車場の人々のざわめきがここまで聞こえてきます。
あとひとがんばり!



ついに国道に出ました。
山道を歩ききったのです!
ここからはもう坂道はなく平坦路を歩くのみ。



大門(だいもん)。
立派な門で、遠くからでないと写せません。
一度写真を写そうとしましたが入りきらないので後ずさりして撮影。



法橋運長作の金剛力士像が仁王立ち。



大門は高野山一山の総門です。



時刻は午後3時前。
気温は4.4℃。
下界よりかなり低め。



素晴らしい大門。



6町石。



5町石。



かなり気温が下がってきました。
手袋をはめないと手が冷たくて我慢できないほど。



奥の院方面へ。



4町石。



3町石。



2町石。



昔懐かしいポストが現役!



ついに1町石!!
やった〜。♪(^_^)v




壇上伽藍前の中門跡。



中門跡の説明。



壇上伽藍前。



壇上伽藍を越えて進みます。
宗教の地である風景が広がります。



道を間違えました。
壇上伽藍を越えてはいけないことに気づき、慌ててUターン。
壇上伽藍へ。



根本大塔。



奥の院へ向かう町石。
また1から始まります。
1町石。



大会堂。



様々な建物がいっぱいあります。



歴史がありそうな風景を眺めながら壇上伽藍から奥の院へ向かう蛇腹道を歩きます。



壇上伽藍から奥の院までの町石も全て撮影しようと思います。



国道371号線と合流。。



気温が低くなり、薄暗くなりそうな気配が。
それでも町石を全て写そうと速歩。
本当に様々な風景が広がります。



奥の院へ向かう11町石。
ここまでは全ての町石を撮影してましたがここで断念。
更に寒くなってきた上に、時間的にもきつくなりました。
弘法大師御廟までは何としても歩きたいので、町石巡りはここまでにします。
大岡越前守や浅野内匠頭と47士の墓所、それに少し怖い「姿見の井戸」にも寄りたかったんですが全てここで断念。



遠くまで歩いてきたことを実感。



奥の院を通過。
今日の最後の目的地である弘法大師御廟を目指します。
写真を撮るのはこの場所ではまだ禁止されていないのですが墓所の連続なので自粛。
ただ、この写真だけは撮りました。
重要文化財に指定されている、徳川家康の次男の石廟です。
この少し先からは写真撮影やタバコは禁止、そして脱帽してくださいとの指示が案内板に書かれている空間。



奥の院を巡り、そして弘法大師御廟を巡る順路をお参りして全ての行動を終了。
奥の院まで戻り、バスでケーブルカーの高野山駅へ。
時刻は午後5時。
今日の行動を開始してから、もう12時間が経過。



極端に寒くなってきたので、ケーブルカーに乗るまで駅舎の陰で風を避けます。
あちこちで懐かしいポストを見かけましたが、ここ高野山駅にも同じポストがありました。



高野山ケーブルカー!
初めて乗ります。(^_^)v



何と。
ケーブルカーが壁ぶち抜きで3両編成。



極楽橋駅着。



何ともいい名前の駅だこと!



極楽橋からは普通電車で橋本へ。



橋本駅には難波行きの特急と急行が停車していました。
迷いましたが特急に乗ります。
特急料金は500円也。(T_T)



天下茶屋で南海を降り、地下鉄に乗り換えて北浜へ。
北浜からは京阪特急に乗車。
京阪特急は特急料金不要。



慈尊院〜壇上伽藍間の町石は全て撮影しましたが、全ての町石の写真はアップはしないことにしました。
枚数が多すぎますし、全ての写真ががきれいに写せたわけではありませんでしたから。

東高野街道ウオークが、成功裡についに幕を閉じました。
思えば、雨の日に八幡の男山・石清水八幡宮を出発したのが10月1日の日曜日。
それ以来自宅を午前10時頃にしか出発することができない状態で6回を歩き、およそ100日後の今日ついに念願の高野山詣でを果たしました。
それにしても、街道ウオークって素晴らしいと心から感じた今回のウオーク。
街道や街道ウオーク、それにウオークの魅力を更に強く感じる一日になりました!






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