今日はGWの二日目。
遠出はせずウオークで近場の素晴らしさを堪能しました。

本日のウオーキング歩数、21,787歩。(ウオークで802kcal消費)


2007年4月29日(日)




自宅を正午前に出発。
こんな花が咲いているのを見かけました。



宇治橋通りへ。
昭和初期のコンクリート製建物。
当時としてはかなり珍しい建物でしたが現役で使われています。
しかし、その向こうには無粋な高層マンションがあり宇治橋通りの風景を台なしにしています。



昭和初期のコンクリート製建物。
愛宕鉄動の開業が昭和4年ですから、愛宕鉄道とほぼ同時期に建設されたことになります。



懐かしいダイハツのミゼットが格納されているお店前へ。
ミゼットはもう全くと見かけない極めて貴重な車。



ミゼットをズーム!



宇治代官所跡。
ここは昔、宇治町役場として使われていましたが、今は銀行の敷地に。



宇治公園の景観を台なしにしている無粋な高層マンション。(もちろんマンションの住民の方が悪いというわけではありません)
長年続く宇治の保守市制の弊害が形で表れている典型が、景観に全く配慮しないこうした高層建築の許可だと私の目には映ります。
宇治市政は、日本中に蔓延する多くの他の自治体と同じく議会では野党が極めて少数。
宇治市議会の野党は、共産党と、議員一人だけの新社会党と、そして保守系の無所属一人。
「共産党以外は全て与党」という構図は有権者をとことん無視した悪政。
政権野党の地方政治における見識が問われます。



宇治橋西詰め着。



宇治橋。



宇治橋西詰めにある紫式部像。



宇治橋西詰めのモニュメント。



平等院表参道へ。
様々なお店があります。



これは道路のように見えますが実はそうではなく、平等院表参道脇のお店の敷地。
気候のいい時にはここで屋外での飲食を楽しむことができます。



平等院山門前。
カエデの緑が素晴らしい!



平等院山門前には、入場の手続きをする人の列が。
平等院に入場するためのこうした行列は普段はほとんどありません。
今がGWだと実感できる風景。



平等院表山門前に咲く美しい藤の花。



藤棚の下部。



白い藤の花。



平等院山門前の藤の花はこんな感じで咲いています。



宇治川左岸堤防に上がりました。
木々の間から世界文化遺産である平等院の鳳凰堂が見通せます。



橘橋を渡って塔の島へ。
宇治川先陣争いの碑。



先陣争いのイメージ。



朝霧橋を渡り宇治川右岸へ。



横川僧都、あるいは恵心僧都(えしんそうず)などと呼ばれた源信。
源氏物語でに登場する恵心僧都は宇治十帖の中で浮舟を助けた「横川の僧都」のモデルとされています。
その恵心僧都ゆかりの恵心院へ。



源信は天台宗比叡山横川の恵心院に住んだことから、「横川恵心」「僧都恵心」と「呼ばれました。
その僧都恵心がこの地にあった龍泉寺を再興し、朝日山恵心院と改名。



恵心院境内へ。
藤原氏、豊臣秀吉・徳川家など、当時の権力者に庇護されてきた恵心院は、中世以降の戦火に巻き込まれ境内の縮小を余儀なくされ、今では本堂と楼門を残すのみとなっています。



境内に咲くオウバンソウの花。
今ではここ恵心院は「花の寺」と呼ばれ、住職の心遣いで四季折々の花が楽しめます。



花の蕾。
四季折々花を絶やさないということは結構難しいはず。
住職の温かい心が素晴らしいなって思えます。



本堂にお参りしてから境内を周ります。
大きなボタンの花が「咲いています。
入場フリーの境内ですが素晴らしい雰囲気。



ズーム。



白いボタンの花も。



ズーム。



先ほどのものより更に色が鮮やかなピンクのボタンの花。



同じピンクでも少し色合いが異なる花も。



赤色のボタンの花。



恵心院をあとに。



恵心院を出ると、そこはもう宇治川の清流。



匂宮と浮舟の像。
「その心は薫の君の面影を慕いて野性の肌は女のよろこびを求めて・・・」などと映画では紹介されている匂宮と浮舟ですが、こうして像を見るとそんな雰囲気は感じられません。
よくよく考えると、私は源氏物語を一度も読んでいません。
一度読まないといけないな!



新緑が美しい宇治川右岸。



とっても爽やか。



宇治茶道場。



ここ宇治茶道場では無料で宇治茶の接待が受けられます。



橋寺放生院へ。



橋寺境内の宇治橋断碑。
古来より日本三古橋のひとつに数えられている宇治橋。
その宇治橋が架けられたいきさつが刻まれた石碑。
重文に指定されてます。
上部の原碑は天平時代に作られたものと推定されますが、下部は後に復元されたもの。



本堂にお参りしてから境内を歩きます。



ボタンの花が咲いていました。
コガネムシが花の中にいます。
恵心院のボタンの花の中にも昆虫が入っていました。
ボタンの花の蜜は特に昆虫好みのようです。



食事中のコガネムシ君をズーム。



橋寺には生まれ月に応じた守り本尊があります。
私は寅年生まれ。



これが私の守り本尊。



橋寺は少し小高い場所にあります。
橋寺を後に。



京阪電車宇治駅前へ。



美しい宇治川。



槙島町を目指して西進。
JR奈良線の快速電車が通り過ぎていきます。
事故の責任を取って辞任したJRの旧役員はJR関連団体に再就職したそうですが、そんなJRの体質は大嫌い。
JRがまともな企業になる日は一体いつやって来るのでしょうか。
JRの企業体質は大嫌いですが、JRはとっても興味があります。
蘇れ!JR。



懐かしい風景。
私が子どもだった頃にはこの辺りまで遊びに来て、こんな水門付近でよく遊んでいたものです。



槙島町の田んぼの中を流れる水路の水門。
この水門も子どもだった頃に見た記憶があります。



水門横にある農業関係の建物。
この建物も当時のまま。



雄大な風景。
この辺りはかつて巨椋池(おぐらいけ)という大きな池の一部でした。
「槇島」という地名は、巨椋池の島があったところからきています。



まだ桜の花が美しく咲いています。



京滋(けいじ)バイパスの高架が見えてきました。



それにしてもいい天気。
右に写っている山は、黄檗断層の活動でできたもの。
長い間に繰り返し大地震が起きて、あの山ができたんだってことを京大防災研究所の方から聞いたことがあります。
しかし記録には黄檗断層で起きた地震がないそうで、そう考えるとかなり長い間地震の空白期があることになり、黄檗断層を震源とする大地震がいつ起きてもおかしくはないそうです。



京滋バイパスの高架下着。



地下水のようですが水が湧き出ていました。
さほどきれいな水ではないので、農業か何かに使うものなんでしょうね。
この水が湧いている前の家の方に槇島城跡の記念碑が立っている場所を教えていただきましたが、既に通り過ぎた場所でした。(>_<)
引き返すことに。



槇島公園着。
この公園の南側一帯が槇島城があった場所。



槇島城記念碑。



槇島城の説明。



槇島城があった場所。



太線で囲まれた部分が槇島城があった場所。



かつてあった大きな池を懐かしんでか、ここら辺り一帯には水鳥が多くいます。



京滋バイパスは近くで見るとかなり巨大な構造物だということが分かります。



京滋バイパスが宇治川を渡る手前には側道の歩道を通る人や自転車が下に降りられるよう、このようなループ状の橋が設置してあります。



玄関先が花で埋もれるほど多くの花を栽培している家がありました。
きれい!





GWには多くの観光客が京都や宇治にやって来ます。
私は今年のGWを近場でスポーティに過ごすことにしました。
近場にも四季折々素晴らしい風景を楽しめる場所がありますが、そのことがとってもありがたいです。


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