今日は、東海道57次ウオーク。
コースは大津〜草津。
午後1時過ぎから午後6時前まで歩きました。
草津に着いた時点で疲れはさほどなかったのですが、夕食の用意を私がすることになっているので早めに帰宅。
約25kmを5時間かけて歩いたことになるので時速は5kmとかなり遅めでしたが、日差しがきつく暑かったのでいた仕方ないかも。

本日のウオーキング歩数、33,444歩。

2007年6月23日(土)




陸軍宇治火薬製造所・宇治弾薬庫の引込み線跡。
あの戦争の惨禍を経験しながらまだ懲りないのでしょうか。
「沖縄では住民への自決の強制はなかった。」と検定で教科書を書き変えさせ始めた役人、そして「あと数年後には憲法を変える発議をする。」などとを公言する政治家。
そんな役人や政治家を放置していては、あの戦争の犠牲者が浮かばれるわけがありません。
今の危険な政治の流れに心からの怒りを禁じ得ません。



京阪電車に乗り浜大津着。



出航していたミシガンが帰ってきたようです。
ミシガンちゃん、お帰りなさい〜!(^.^)/~~~



浜大津港に展示してある葦舟。



ふと見ると、不審な人物が私に向かってカメラを構えているではありませんか。
ど、どうしよう・・・。(@_@;)
なんちゃって。
ガラスに映ったgodzillaですよん。
日焼け止めクリームを買いそびれたので、顔と首は帽子とサングラスとタオル2枚で防御。
腕はむき出しですが、午後1時過ぎからの行動開始のため日陰が結構できているので、その日陰を利用しながら歩く予定。



「はっけん号」と「みずすまし2世」が停泊中。



消防艇にご挨拶。



ズーム!
渡哲也が仁王立ちになり放水するイメージが何だか目に浮かびます。



「はっけん号」
県立琵琶湖研究所の最新鋭研究船です。



浜大津の風景。



今日の東海道ウオークの起点である京町一丁目交差点着。



この辺りは分かり易いコースになっています。



いい雰囲気の旧東海道。



「3丁目の夕陽」に出てくるような建物が現役!
一日でも長く存在していて欲しい気がしてくるようなそんな建物です。



華階寺着。
ここは藤原秀郷(俵籐太)ゆかりの地。
俵籐太は三上山の大百足退治の伝説で知られる武将。



道の間違いもなく順調にウオーク。



京阪電車の踏切を通過。



松尾芭蕉の墓所がある義仲寺着。



寄ろうと思い門を越えると、「門を越えたら参拝料が300円必要です」。っていきなり言われ大慌て。
300円は別に惜しくはないのですが、私は妻と共に行動しない場合には原則として入場料などの経費が不要な場所のみ入るようにしています。
それは、「妻がパート勤務や家事で忙しくしているのに、私だけ楽しむためにお金を使ってはいけない」と自分自身が自らに課した基準。
「済みませんでした。」などとと言いながら、即撤収〜。



関西電力のビル。
素晴らしい青空です。



旧街道。
実に魅力的。



小さなお店ですが、自家製のふなずしとうなぎの蒲焼を売っていました。
琵琶湖の幸の豊かさと、そしてその幸を生活に巧に活かしてきた近江の人々の生活を垣間見るような気がします。



石坐(いわい)神社着。



参拝します。



神社の説明。



この日 初めて道を間違いました。
結構時間のロスをして、響忍寺横通過。
城下町・膳所(ぜぜ)にあるここ響忍寺。
ここでは、藩家老村松八郎右衛門屋敷 の長屋門が使われています。
旧響忍寺が火災で焼失後、空地になっていたこの地に再建されたのが今の響忍寺。
長屋門は江戸時代から今に至るまで、ずっとこの地にあります。
東海道はここ響忍寺門前で直角に曲がっており、膳所城下防衛上重要な拠点だったことが伺えます。
ちなみに、響忍寺は「きょうにんじ」でなく「こうにんじ」と読みます。



こういう風景を眺めながらの〜んびりと歩む。
素晴らしい時間が流れます。



廃屋になった建物。
よくよく見ると、小さな建物ですがかなりしゃれた構造。
電灯がとってもいい感じだし窓などの取り方もいい感じ。



和田神社前通過。
この辺りの最寄りの駅は京阪電車石山線「中ノ庄」駅。



魚釣り道具と結納用品を売っているお店。(@_@;)



改築されたばかりのような家がありました。
でも新しくなった部分もこのように昔ながらの造り。



懐かしい郵便ポストを発見!



歯医者さんの建物。



京阪電車「瓦ヶ浜」駅前通過。



瀬田・石山の道分岐点の案内。



若宮八幡宮前通過。



粟津中学校を越えた辺りで旧街道を外れいったん161号線に出ます。
琵琶湖・瀬田川沿いを歩きながら全くそれが見えないコース旧東海道を歩いてきたので琵琶湖・瀬田川が見たくなりました。
並木道が素敵です。



近江大橋が見えています。



再び旧東海道へ。
写真屋さんの店の前にかなりレトロチックなカメラが置いてありました。



石山商店街の七夕飾りがきれい!(^^♪
もうそんな時期なんですね。



京阪電車「唐橋前」駅通過。



旧東海道の案内はこうして「思い出したように」点在しています。
しかし案内板が「点」としてしか存在していないため、案内板はウオークにほとんど役立ちません。
しっかりとした地図を持参する必要があります。



何だかとっても変った建物が。
道路わきに腰掛けてこの建物の絵を描いている人もいましたが、ここって一体何の建物だったんでしょうね。
今は人家になっているようですが。



日本三名橋のひとつである瀬田の唐橋へ。



瀬田川の流れ。



こんな絵看板が。



瀬田の唐橋の石碑。



俵藤太の活躍が石碑の裏に刻まれています。



タイル製のモニュメント。



先を急ぎます。
瀬田しじみ最中(もなか)を売っているお店がありました。
ウインドウをのぞいて見ると、まさにあのアンコが入ったのと同じ最中。
どんな味がするのかなあ・・・・・。



この店では「たにし飴」を売っているようです。
それにしても「たにし飴」って。(^_^;)



建都大社前。
ここに来てしまったのは道の間違い。
この手前で道がY字型になっていてそこを左に行かなくてはならないのに右に来てしまいました。
あっさりと戻ればよかったんですが、ショートカットをしようとして更に大きく道を間違ってしまいかなりの時間ロス。
今日のウオークでは響忍寺付近で少し道を間違い、そしてここでは大きく間違ってしまいました。
(でもそれ以外は全コース間違えることなく歩けました。)



何とか旧街道に戻れました。
タヌキ君が!



本当に時々こうした案内板がありますが、やはりほとんど役に立ちません。
だってこの前後に全く案内がないのです。
どこが東海道なのか、この案内を離れるともう全く分かりません。



きれいな空。
写真からは暑さは伝わってきませんが、本当に日差しのきつい暑い暑い日でした。



瀬田小学校付近の家並み。



旧街道魅力を満喫するウオークになりました。



この道の狭さこそ旧街道の証。



一里山2丁目の交差点にある「一里塚址」。



一里塚址の説明。



一里塚址前に咲くタチアオイの花。
とってもきれい!



旧街道をドンドン進みます。
「新田開発発祥の地」の石碑。
新田開発にも発祥の地があったんだって初めて知りました。



石碑の近くにある月輪寺。



月輪3丁目付近の風景。



日本黒鉛工場前にあるこの土塁は旧東海道時代の土塁が今も残っている部分。
旧東海道の地形がほとんど残っていない今日歩いたコースの中では初めて見る旧街道の地形です。
蛇足ですが、日本黒鉛の黒鉛とは鉛でなく石墨(グラファイト)なんだそうです。
石墨はダイアモンドの兄弟だとか。



「最寄りの駅が南草津」という位置までやって来ました。
きれいな水が湧きだしている場所発見。
野路萩の玉川の跡を示すものです。



野路萩の玉川の説明。



小さな泉から湧きだす水の清い流れ。



平安期から鎌倉時代にかけ、ここ野路は東海道の宿駅の一つでした。
野路にあった萩の玉川は風光明媚で知れ渡り、当時多くの人が訪れたとされます。
しかし宿駅機能は この少し先の草津が優位になり、野路は衰退していきます。
玉川も最後には僅かに溜め池を残す状態になっていましたが、1976年に地元住民の尽力で野路萩の玉川があったことを記念するこの小公園が整備され今に至ります。



草津を目指します。
エントツのある家がありました。
利便さや煙などの問題があるので木を燃やすという生活はもうできない家がほとんどなので、とっても珍しく思えます。



珍しい桃の瓦がありました。
中国では桃は厄除けの意味もあるのですが、同じような意図で造られた瓦なのでしょうか。



日が傾き かなり日陰が増えてきました。



大津にあったのとよく似た街灯。



新宮神社前通過。



「清宗塚」の説明。
少しだけ寄りました。



教善寺。
草津本陣にかなり近づきました。



国道1号線に至りました。
矢倉南の信号で1号線を横断。



草津宿まであと1.5km。



稲荷神社。



国道1号線を横断してからは旧街道らしい雰囲気はほとんどなかったので、こういう風景が嬉しいです。



矢倉橋を渡ります。



新草津川。
新草津川は天井川である草津川の流れを変えて造られ、それと同時期に矢倉橋も架けられました。



太田酒造工場の建物。



「草津宿脇本陣跡」石碑。



脇本陣跡は今は観光物産館と食事どころになっています。



草津宿本陣。



道標兼常夜灯。
道標には「右東海道いせみち 左中山道道みのじ」と刻まれてあります。



旧草津川の下をくぐるトンネル。
明治になってトンネルが掘られるまでは、土手に上って向こう側に行っていたそうです。



旧草津川。
今はもう水は流れていません。



草津駅に向かいます。



草津駅着。
駅構内から青空を見上げます。
いい天気の一日でした。



JR草津線の草津駅から新快速に乗車。



車窓から見る風景。
テクテク歩いてきたそんな場所を電車はあっという間に通り過ぎていきます。



瀬田川通過。
さて、帰宅を急ごう!
今日は私が夕食の料理を作ります。



東海道全線歩破の道のりは遠いなって思いました。
でもコツコツとこなしていこうと思います。
ただ・・・・。
遠くなればなるほど交通費の負担がズシリと重くなるのが辛いところ。(>_<)



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