今日は、東海道57次ウオークの続きを行いました。
コースは、JR草津線の草津駅〜甲西駅までの区間。
地図を用意したのですが、でもその地図はほとんど参考になりませんでした。
プリントアウトしたつもりだったのに、プリントアウトに失敗したようで必要な部分の地図はほとんどなかったから。
仕方なく「直感と本能で」というgodzillaの得意な戦法でウオークを行いましたが、時間と距離に大きなロスが生じてしまいました。(>_<)
本日のウオーキング歩数、44,524歩。
2007年7月1日(日)
草津駅着。
駅前は宿場をアピールする雰囲気が。
いざ!草津宿へ。
草津川のトンネルの壁に描いてある旧街道の風景。
草津川のトンネルの壁に描いてある旧街道の風景U。
道標兼常夜灯。
道標には「右東海道いせみち 左中山道道みのじ」と刻まれてあります。
石造道標の説明。
草津川ずい道の説明。
草津宿高札場。
高札場は、掟や禁令を庶民に徹底させるため、その内容を板に書いて街道高く掲げた場所。
高札。
高札による法令通知の方法は1870年(明治3年)まで続きます。
書状集箱の説明。
書状集箱。
公民館前。
草津歴史街道の石碑や案内板などがあります。
公民館前にはこんなものもありました。
草津宿本陣。
前回ここに来た時は時間が遅かったのでこの門は閉まっていましたが、今日は開いています。
草津本陣内部。
入場料はわずかですが、それでも私は入場料を払って中に入りません。
妻がパート勤務の只中の今、私だけが有料ゾーンには入るわけにはいかないので。
交通費や食費は絶対に必要なのでいた仕方ないとしても、入場料は「絶対に必要」ではない経費。
私は原則として妻と井共に行動ない時には入場料が必要な場所には入りません。
それは経費的な問題ではなく、妻に対する私の気持ちを具体化するため私が自分自身課した課題。
草津宿脇本陣跡。
市立草津宿街道交流館があり中では食事も楽しめます。
覚善寺。
この道標で「あれっ?!」と思ったんですが地図なし。
カラー舗装してある中仙道へ進路を取ってしまいました。(>_<)
火袋付石造道標。
散々道を間違ったあと、やっと旧東海道へ。
草津川の堤防に上がります。
火袋付石造道標の説明。
とってもいい雰囲気の旧東海道。
草津川の堤防着。
何と!サイクリングロードがありました。
琵琶湖まで6.14kmで総延長が6.14km・・・・。
ってことはこのサイクリングロードはここから琵琶湖までつながっているだけの長さなんですね。
国道1号線を陸橋で横断。
国道1号線も草津川の下を通っているんですね。
街のシンボルになっている「イロハモミジ」。
さほど大きくないモミジの木なのに樹齢は150年以上だそうです。
栗東市へ。
東海道新幹線の高架下通過。
こんなに細い橋脚で、近いと考えられる巨大地震に耐えられるのでしょうか・・・・。
上を高速で列車がすれ違う時などかなり大きな力が橋脚にかかっているはず。
そんな時に、ビルさえも倒壊させるような大きな地震の揺れがあれば、こんな橋脚なんてポキッて折れてしまうんではないのかなあ??
グラジオラスの鮮やかな色。
東海道の案内。
地図がない今日のウオークでは、ほんの時たまこうして見かける道標が心強い限り。
街道のたたずまいが今に残る家並み。
名代田楽茶屋「京伊勢屋」跡。
東海道を往来する旅人の休憩場所として江戸幕府によって立場茶屋が置かれました。
ここで供された料理は地元の食材を使い、特にここの菜飯と田楽は「おいしい」と評判に。
そしてここの菜飯と田楽は「東海道名物」にまでなったのです。
ここは3軒あった田楽茶屋のうちの1軒の「京伊勢屋」跡。
田楽茶屋は、他に「元伊勢屋」と「こぢま屋」がありました。
田楽茶屋の「こぢま屋」前通過。
「こぢま屋」の今の姿。
田楽茶屋「元伊勢屋」跡。
田楽の発祥の地はどうやらここのようです。
元伊勢屋の説明。
今まで見たこともないような大きな「にしきぎ」の木。
目川(めかわ)一里塚。
江戸日本橋から118里です。
ここは瓢箪の産地としても有名で、瓢箪の生産組合も存在しています。
帝産バスの路線バスの停留所。
帝産バスの観光バスは知っていましたが、帝産バスが路線バスを運行しているとは今日まで知りませんでした。
路線バスがあるということは、おそらくこの辺りが帝産バスの本拠地のはず。
そのことも今日まで知りませんでした。
神仏混交時代のなごりが残る目川地蔵院前通過。
目川地蔵院辺りから先で大きく道を間違えたようです。
灰塚橋着。
金勝と書いて「こんぜ」と読むんですね。
和田古墳公園に寄ることに。
10号墳。
12号墳。
古墳にはこのような説明がついています。
五号墳内部。
旧東海道を歩くと和田古墳公園に寄るはずがありません。
大きく道を間違ったので道をかなりの距離戻り名神高速道路沿いに。
名神沿いをテクテクを歩きます。
百足退治で有名な三上山(近江富士)が かなたに見えています。
この名神高速沿いを歩いた結果 目的の旧東海道にかなり近づいたものの、その先で更に道を間違いました。(>_<)
ただ・・・・・。
今から思うと、地図もないのによく旧東海道のこんな分かりにくい道を歩けたものだと我ながら感心します。
道を間違ったことにより、結果的に時間にして1時間以上 距離にして7km程もロス。(;一_一)
何とか旧東海道に戻ることができる場所付近まで戻ってきました。
某スーパーで遅い昼食を摂ります。
オムライス、小鉢、コロッケ、浅漬け、そしてラーメン。
コップの中身は水でなくレモンスカッシュ。
これで730円。
安くて、そして味は普通(^_^;)。
飲食費ポイントがついたのは予想外のラッキー。
偶然にも3倍ポイントだったので、20ポイントのプラスに!(^_^)v
手原交差点に面する稲荷神社。
神社正面の裏にあるSL公園に寄ってみます。
D51、愛称デコイチ。
いいですねえ。(^^♪
旧東海道の風景を眺めながらテクテク。
おそらく「葉山東海道まちづくり」の皆さんの尽力でできたであろうと予想される小さな看板。
お寺のような門構え。
でもここは民家なのです。
何屋さんなんだろう・・・・。
旅籠。
旅籠跡の今の姿。
傘屋さんですね。
当時風に書くと笠屋さんなんでしょうか・・・・??
地蔵村の当時の様子。
一里塚跡。
指物(さしもの)屋跡。
指物とは板と板、板と棒、棒と棒とを組み、指し合わせながらつくる木工芸の総称。
大きな道との合流点。
根拠もそして地図もないですが、当然ながら幹線道路ではない左の道へ。
栗東八景の説明板。
旧和中散本舗(きゅうわちゅうさんほんぽ)着。
JR手原駅の東約2kmにある旧和中散本舗は旧東海道の六地蔵にあります。
かつての大角弥右衛門家の邸宅で、豪商の昔の姿をそのまま今に留めます。
六地蔵には江戸時代、旅人のために道中薬を売る店が数軒あり、大角家は、その中で和中散という薬を売る「ぜさいや」の本舗として栄えました。
薬を売るだけでなく、草津宿と石部宿の「間の宿」として、公家・大名などの休憩所もつとめたとか。
和中散という名は、徳川家康が腹痛を起こした時この薬を献じたところ たちまち治ったので家康から直々付けられた名前。
本屋の向かいにある隠居所の説明。
いいですねえ。
隠居所。
最近とんと見かけなくなった井戸のつるべ。
石碑。
地蔵尊。
門は閉じられていました。
薬屋さん。
麹を売っていたお店なんでしょうね。
信州善光寺分身のお寺である新善光寺への道。
薬師如来。
説明。
薬師如来へお参り。
百足退治で有名な三上山(近江富士)が近くに見えてきました。
三上山は、人間の営みと言うか横暴と言うか。
それにより荒れ肌むき出しの山になっているようです。(>_<)
JR草津線沿いをウオーク。
ねむの花がまっ盛り。
夜になるとお行気よく葉を閉じることから「ねむの木」との名前がついたようですね。
石部宿着!
地図を持たないのに草津からここまで来ることができました!
石部駅。
駅前のモニュメント。
句碑。
石部駅前にはこんなものも。
一里塚。
江戸時代の茶屋跡。
籠。
江戸時代の茶屋の説明。
小島本陣跡へ。
広重の絵が描かれた案内板。
石部宿駅の看板。
歴史の道、東海道!
御高札場跡。
芭蕉の句碑。
旧でなく「現」の気がしてくるような街道の風景。
街道沿いの建物。
見付跡着。
見付の説明。
うつくし松・・・・。
初めて知った名前。
時刻はもう遅いのですが興味があるので寄ってみることに。
連続した案内が ありがたい限り。
うつくし松発見!
「うつくし松」の説明。
「うつくし松」を巡るコースも整備されています。
距離はわずかですが。
うつくし松!
雨が降り弾めました。
JR草津線「甲西駅」へ。
JRの路線図。
l旧東海道は、近江鉄道沿いのはず。
途中で再び道をまちがったようです。
帰路に。
旧東海道ウオーク。
実に魅力的。
ただ・・・・・。
総延長が500km以上あるので、今後どのような形態で攻略できるのか。
新幹線を利用しない日帰りの連続で、果たして全行程のウオークが可能なのか!?
情報収集をきちんとしないと!
今現在は、「青春18切符」の有効活用を積極的に検討中。
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