今日は、東海道57次ウオーク。
朝からバタバタとしていたので自宅を出るのが遅くなりました。
結局、甲西駅から歩き始めた時刻は午後2時前。
張り切って歩き始めましたが、三雲駅から先で道を間違い大幅なロス。
道を間違ったのに気付いたのですが「すぐに横道があるだろうからそこから戻ればいい」と考えそのまま前進。
ところが・・・・・。
行けども行けども横道なしで旧道との距離がドンドン遠くなり、結局横道があったには水口に入ってから。(>_<)

本日のウオーク歩数32,869歩、約1,100キロカロリー消費。

2007年7月7日(土)




甲西駅についたのでウオーク開始。
時刻は午後2時前。



雲っていますが気温が高く湿気が多め。
じんわりとした汗をかきながらやや速めの歩み。



天井川である由良谷川のトンネルをくぐります。



石碑。
「新田道」と刻まれています。



夏見立場。



いわれありそうなものが。



夏見の里の説明。



路傍に咲く大輪のダリアの花。



一句。
「東海道 ノウゼンカズラが よく似合う」。
字あまりです。(^_^;)



天井川である大汐川のトンネル手前に「弘法杉」がありました。



「弘法大師 お手植えの杉」と刻まれた石碑。



推定樹齢750年の立派な弘法杉。



指定文化財にもなっています。



堤防の上に小さな建物があったので入ってみると、中には弘法大師像が。



幹周りは6mもあります。



道路に戻りトンネル通過。



並行して伸びる国道1号線に行き道沿いの店で昼食。
再び旧・東海道へ。



こんな建物を見ながら旧街道を歩く・・・・。
とってもいい時間が流れます。



いつまでも残っていて欲しい家並みと街の雰囲気。



JR草津線「三雲駅」着。



三雲駅から先の道を間違いました。
横田渡常夜灯へ。
少し先に「天保義民碑」と書いてあります。
過酷な検地に怒った1万数千人にも及ぶ農民が決起し一揆を起こしました。
その結果 検地日繰り延べの権利を獲得したましたが、首謀者とされた80数名が厳しい取り調べを受けその多くが命を落としました。
そんな悲しい歴史の碑です。
寄ってみたかったのですが、時間がないので断念。



横田川(今の野洲川)の渡がかつてここにありました。



立派な横田渡常夜灯。



道の間違いに気付きましたが「すぐに向こうの旧東海道に戻れるだろう。」と考えてJRの線路沿いを歩きます。
高さが10mもある横田大常夜灯が数百メートルかなたに見えているので「早くあそこまで行きたいな。」と考えて歩きます。
しかし歩けど歩けどJRの線路沿いから旧東海道に行ける道と交わりません。
それどころか横田大常夜灯がドンドン遠くなり最後には見えないほど離れてしまいました。(T_T)
結局線路沿いの道を通って水口に至りましたが、まだ旧東海道に行ける道がありません。
横道が全くなく完全な一本道。



杣川。
杣(そま)というのは「きこり」のこと。
昔の林業と何か関係が深い川なのかもしれません。



三雲駅から延々と歩いて、やっと横道と接しました。
橋を渡って旧東海道方面に行くことに。



野洲川着。



旧東海道に戻るのに野洲川を渡るのかどうか迷います。
誰かに尋ねようかと思ったんですが人っ子一人いません。(@_@;)
仕方なく橋を渡らず進みます。
雲が切れて晴れてきたのに全く日陰がない道を、帽子なしで歩きます。
あ、暑う・・・・。



とにかくいい雰囲気。



結構歩いてやっと東海道へ。



ここはも水口宿。



からくり「時計発見!



時計の下のからくりは曳山。
一日に数回しかからくりは動かないようで残念ながらからくりを見ることはできませんでした。



街道沿いにあった店で今でも営業が続いているお店が何軒もあります。
ここもそのひとつ。



味がありますねぇ・・・・。



電線が見えなければきっと街道が栄えていたころと同じ風景なんだろうなって思えるところもあります。



曳山蔵を発見。



説明。



曳山蔵と曳山の説明。



街道の雰囲気を濃厚に今に残す家々。



落ち着いた雰囲気。



高札場跡。



高札場全景。



高札場の説明。



高札に書かれた内容を復元したもの。



このような昔から続くお店が何軒も街道沿いに残っています。



この家並み。
いいですねえ。



水口宿東見附跡。



見附跡全景。



見附跡には小さな祠が。



東見附の説明。



大きな道に出ました。
水口宿の大きな石碑。
後から分かったのですが、この道は国道1号線でした。



道路沿いに咲くアジサイの花。



のどかな風景を眺めながらテクテク。
途中で木陰に隠れている交通取締りの警官を発見。
話しかけると連絡用のイヤホンを耳から外して愛想よく対応してくれました。



八坂神社がありました。



「みなくちぶら〜りみて歩き」の看板。
今日の目的地に着きました。
先ほど警官から最寄りの鉄道の駅は貴生川だと教えてもらいましたが、ここから8kmほどあるとか・・・・。
時刻はもう午後6時を過ぎたので、駅までバスで行くことに。



「県道岩上」のバス停近くの風景。
岩上橋だと思われます。



たまった水に夕陽がやわらかい光を落とします。



また雲が多くなってきました。



雄大な野洲川。



遠くまで歩いて来たことをちょっぴり実感する標識。



旧東海道と旧国道1号線との分かれ道。



コミュニティバスで貴生川駅へ。
駅構内にはかわいい列車が。



信楽高原鉄道の列車です。
1991年5月14日に正面衝突という大事故を起こした信楽高原鉄道。
事故の直接原因は信楽駅の信号が故障しATSも働いたため信号を手動に切り替えて信楽鉄道の普通列車を発車させたため。
このため単線区間に進入し対向してくるJRの快速電車と正面衝突しました。
信楽鉄道側は信号を手動で切り替えたことをJR側に連絡をしていなかった。
JRの快速電車は、「世界陶芸セラミックスワールドしがらき91」への展示会場に行く乗客で超満員だったため運行が遅れ気味で、通常より速度を上げていたため、減速ができなかったことも被害を大きくしました。



一審公判では、信楽鉄道とJR西日本双方に過失があったと認定されました。
この判決を信楽鉄道は認めたものの、JR側はこれを不服としJR側のみ控訴したが、控訴審でも同社の過失を認定する判決がでてJR側は控訴を取りやめました。
出発直前の列車を眺めながら事故のことを考えます。



信楽高原鉄道の手作りの案内看板。



のりばはJRと同じホームの反対側。



改札口。
ピタパなどの利用者以外は使う必要はありません。



貴生川駅は近江鉄道にも連絡しています。
近江鉄道は1896年の創業以来の111年間、どこにも合併されることなく今日に至っています。
総延長59.5kmのローカル鉄道ということを考えると、それは快挙だと言えます。



30分ほど待ってやっと普通電車が来ました。
貴生川駅を後に。
さて、家路を急ごうっと。


横田大常夜灯も見たいし松並木も見ながら歩きたいので、次回は三雲駅から出発することにします。
江戸への道は遠いなあとつくづく感じます。


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