今日は勤務終了後の夜間に用事がありました。
勤務終了後、用事までの空き時間を利用して夕刻トレーニング。
1時間あまり、男山山麓を歩きました。
本日のウオーク歩数、約7,000歩。
2007年7月24日(火)
東高野街道の起点付近の道風景。
飛行神社へ。
本殿前の洋風の建物。
ここ飛行神社はライト兄弟と同時期に飛行機を研究していた二宮忠八が建設した神社で、1998年の大改装の際に二宮忠八氏の子息の意を汲んでこのようなデザインになったのだとか。
説明がないのでよく分かりませんが、本物の飛行機のプロペラのように見えます。。
飛行機の機体をイメージするような素材でできている鳥居。
大阪湾で引き上げられた零式艦上戦闘機の機首部分。
当時の日本の技術の粋を結集して造られた飛行機の無残な姿。
見ているとあの戦争の犠牲者に想いが及びます。
風雨に晒され厳しい季節の日射に耐えて、今でもこのように形をとどめるエンジン。
ロッキードF104Jスターファーター戦闘機のエンジン。
映画でゴジラを攻撃していたのは、確かこのF104とF86セイバーのはず。
整然と張り巡らされた配線を見て、「人間の脳の構造に似ているな」とふと思いました。
私は職場に籍を置きながら現職のままで大阪のとある大学に1年間研修に通いましたが、その際に人間の脳解剖も実習。
人間の脳には血管や神経と思われるものが実に整然と張り巡らされているということをその際に知った次第。
その人間の脳のことを、ジェット機の配線を見て思いだしました。
飛行神社を後にして安居(あんご)橋へ。
放生川(ほうじょうがわ)の河原へ下り、安居橋東詰めの建物を見上げます。
大谷川は、石清水(いわしみず)八幡宮の下院近くの200m程の場所だけ放生川とその名を変えます。
それは石清水八幡宮の神事の放生会(ほうじょうえ)に由来。
放生川右岸の遊歩道から見る上流。
この先の買屋橋から下流は大谷川は放生川になります。
放生川右岸の安居橋より少し上流に位置する建物。
四季の花が咲き乱れとってもいい感じで私が大好きな風景のひとつ。
ただし、この風景は放生川沿いの遊歩道に下りないとこんな感じで見ることは不可能。
東高野街道ミニウオーク開始。
街道の雰囲気を感じさせる建物。
八幡名物「カレー中華」のおいしいお店間通過。
カレー中華と言うのは和風ダシのカレーラーメン。
以前は私の職場の昼定食でも出てきましたが、とってもおいしいです。(^^♪
東高野街道の案内。
東高野街道は、ういろうで有名な「志ばん宗」(じばんそう)前を通ります。
志ばん宗の裏手にある頼風塚(男塚)へ。
ひっそりとたたずむ頼風塚。
男塚の説明。
女塚は松花堂庭園内にあります。
男塚横にある石灯篭。
かつて金剛律寺があった場所。
金剛律寺の門は今は松花堂庭園の門になっています。
素晴らしい東高野街道沿いの風景。
東高野街道全線をまた歩きたくなってきました。
でも次は全線は無理ですが、半分程度あるいは半分未満を日帰り自転車ランで訪れようと考えています。
巡検道の石碑。
巡検道の石碑には「右 宇治近道」との文字が。
これが当時の宇治への近道の今の姿。
本格的な東高野街道ウオークの雰囲気が楽しめるコースを速歩。
蔵の鬼瓦には「ハクション大魔王」のひげのようなものが。
きっと何か意味があるんでしょうね。
もうきれいなお月が顔を出しています。
正法寺(しょうぼうじ)へお参り。
境内の建物。
半鐘発見。
正法寺を後に。
東高野街道ウオークを続けます。
「京街道」「在所道」と刻まれた石碑。
「樟葉」と刻まれた石碑。
民家のブロック塀の内側にありました。
自転車に乗っていては決して見つけることができないこうしたものもウオークでは見つけることが可能。
この石碑は今日初めて目にしました。
東高野街道ウオーク。
八幡に限定しても実に様々な蔵を眺めることができます。
松花堂の門。
ここは車塚古墳跡。
金剛律寺の門はこの門だと思われます。
車塚古墳は今では松花堂庭園に。
車塚古墳の石碑。
松花堂庭園の説明。
この竹の向こうに車塚古墳(松花堂庭園)があります。
八角堂へ。
八角堂の説明。
八角堂へ。
小高くなっているここも古墳跡。
西車塚古墳なのです。
無人の八角堂。
この写真を撮るために立ち止まったのは一瞬なのに、無数の蚊が寄ってきました。(;一_一)
写真を1枚だけ撮って次へ。
八角堂境内の石地蔵。
八角堂が今日の最終目的地。
八角堂でUターン。
往路では気付かなかった趣きある建物を見つけました。
ただ・・・・・。
かなり地震に弱そう。(;一_一)
カエデの美しい紅葉で有名な善法律寺へ。
境内のカエデの美しい緑。
この写真を撮るために立ち止まっただけで蚊がわんさかと寄ってきました。
て、撤収〜。(>_<)
今日のウオークで八幡の魅力を益々実感。
八幡って本当に素敵!
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