今日は、この夏最後の私の休暇日。
そこでウオークを計画。
ウオークのテーマは、「1200年の歴史を持つ古都京都の鬼伝説ゆかりの地を歩く」というもの。
自宅から歩いて行動を開始したので、長距離を歩いた割にはあまり周れませんでした。
この「京都の鬼伝説のゆかりの地を追う」というテーマは貫徹するまで続ける予定。

本日のウオーキング歩数、53,789歩。

2007年8月28日(火)




ウオークを開始し、槇島の田園地帯で大きく育った稲を眺めます。



夏の花が過ぎ行く夏を惜しむように咲いていました。



「太閤堤」着。
天下統一を果たした秀吉は、伏見城を築きました。
その頃、宇治川・桂川・木津川の三川は巨椋(おぐら)池に流れ込んでおり、大雨が降れば池の周辺は洪水に見舞われていました。
伏見城を築いた際に秀吉は、太閤堤・槙島堤・上島堤・下島堤・向島堤を造営して宇治川の流れを伏見へ送りました。
その太閤堤は多くが近鉄京都線の線路となるなどして次々に姿を消しましたが、一部が今でもこのように残っています。



きれいな花が。



今は道路になっている太閤堤跡。
両側が斜面になっており当時の様子を今なお残しています。



稲を眺めながら田んぼの間の道を歩きます。



大きく育った稲。
収穫もそんなに遠い日のことではありません。



ジャンボタニシ。
元々は食用に輸入された外来種のジャンボタニシ。
食用の需要が振るわないため生きたまま大量に放棄されました。
ジャンボタニシは稲に大きな被害を与えます。
時には稲の茎を喰いちぎるほどの被害を与えます。
ジャンボタニシにかかわらず、外来種の生態系に与える悪影響や農業・漁業などにの被害は極めて深刻。



宇治川堤防へ。



雄大な近鉄鉄橋前通過。



京阪電車宇治線・観月橋駅。



御香宮へ。
もう秋祭りの時期ですね。



境内の伏見戦跡の碑。



説明。



境内に湧く「御香水」。



御香宮を後にして更に北上。
きれいなハイビスカスの花が。



某スーパーのフードコートで昼食を摂ることに。
ご飯大盛りのカツ丼にうどんがついて780円。
うまくて安い!



撞木町遊廓跡。
この遊郭は伏見の発展と共に元禄時代に全盛期を迎えます。



ここ撞木町遊廓は、赤穂浪士を率いる大石良雄(通称は大石内蔵助)が敵の目を欺くため、この地で遊興したことでも知られています。



関西電力墨染発電所。
琵琶湖疎水の水を利用した発電所です。



疎水沿いを北上。



きれいなバラの花。



疎水沿いの人家には こうしたきれいな花が多く植えられており、歩く者の目を楽しませてくれます。



疎水沿いから離れ更に北上。
凌雲山南明禅院前へ。



凌雲山南明禅院には家康の正室が眠っています。



東福寺に3つある橋のひとつである臥雲橋を渡ります。



東福寺境内のカエデの緑。
夏が強烈に暑かった今年の紅葉はどうなるんでしょうね。



やっと、最初の「京都鬼伝説ゆかりの地」に着きました。
羅刹谷(らせつこく)です。
人肉を喰らう鬼女の「羅刹」がいたという羅刹谷があったと考えられる場所は、日吉が丘高校が建つこの辺り。
羅刹は性格は凶暴でしたが かなりの美女だったそうです。
そのため多くの男が羅刹の犠牲になったそうですが、比叡山の僧「恵心僧都」はその鬼女の魔手から逃れることができました。
恵心僧都は源氏物語の宇治十帖の中で浮舟を助けた「横川の僧都」のモデルとされています。
恵心ゆかりの寺「恵心院」は宇治にあります。
薄暗くなった山道でふいに現れた絶世の美女に もしも誘われたら、あなたはいかに・・・・?
そして私はいかに・・・・?!(^_^;)



今の羅刹谷の姿は何の変哲もない道路。
それで切り上げて次の場所を目指すのでは あまりにも愛想がありません。
そこで、羅刹谷だと一般的に間違って考えられている御壺瀧大神を目指すことに。
波切不動明王着。



参拝します。



五社の瀧着。



参拝。



御壺瀧大神着。
さっきの道路より、ここの方がはるかに羅刹がいたような雰囲気がします。
古資料では羅刹谷の位置を示している鳥瞰図があり、それによると羅刹谷は東に向かって東福寺の左、つまり北側背後だそうです。
対して、御壺瀧大神は右になるので南側で方角が羅刹谷とは逆。
それに、御壺瀧大神がある谷には古くから「毘沙門谷」という名前がついているのです。



すぐ近くに川が流れ、そしてこんな小さな洞穴もあります。
ここが羅刹谷だと信じる人がいても決して不思議ではありません。
と言うより「ここが羅刹刻だ!」と言い切った方がふさわしいようにも感じるここ御壺瀧大神。
でも残念ながらほぼ間違いなく、ここ御壺瀧大神は羅刹谷ではあり得ません。



洞窟内部。



境内に祀られているのは御壺瀧大神だけではありません。



ん??
何が危険なんだろう。



いつ倒れてもおかしくない状態の鳥居でした。(@_@;)
伏見稲荷大社のメインの参道の鳥居がこのような状態になれば比較的早く交換されているようですが・・・。



御壺瀧大神を後にして更に北上。
きれいな芙蓉花が咲いてました。



ケンタッキーのカーネルおじさん。
京都ではカーネルおじさんは和服姿。



「京都鬼伝説ゆかりの地」の二ヶ所目着。
東寺の東南の角のここは「猫の曲がり」と呼ばれていました。
昔は瓦でつくられた白虎の像が置いてありその顔が猫に似ていた事から猫の曲りと名前が付いたとか。
ここには鬼伝説と共に、ここを通ると不吉なことが起こるとされていて、今でも婚礼の花嫁はここを通らないこともあるんだそうです。
婚礼のタクシーは、ここを通らないという暗黙の了解があるそうです。(運転手さんに尋ねて確認したわけではありませんので念のため)



猫の曲がりをズーム。



「京都鬼伝説ゆかりの地」の三ヶ所目着。
羅城門跡です。



羅生門前にある矢取地蔵。
当時、西寺にいた守敏僧都は東寺の空海と常に対立していました。
神泉苑での雨乞いでは空海が完勝。
空海を憎み殺してしまおうと狙っていた守敏は、ある時 羅生門のそばで空海を待ち伏せし背後から矢を射掛けました。
その時、空海の身代わりになり矢を受けたのがこの「矢取地蔵」なのです。



矢取地蔵尊。



芥川龍之介の小説「羅生門」で知られるようになりましたが、ここ羅生門の鬼伝説はあまりにも有名。
羅生門の2階に鬼が住んでいたとされますが、それは本当の鬼ではなく当時の荒んだ社会が生んだアウトロー集団だと私は見ています。
政治が乱れれば人心は荒廃する。
今の日本がまさにそれ。
連日のように報道される今の日本の凶悪事件を見ていると、当時の悪鬼が現代の私達の心に巣食ってきたのではないかとも思ったりもします。



羅生門跡の説明。



羅生門跡から壬生通りを北上。
途中で進路を東に取りJRの高架手前でこんな場所へ。
見水不動明王と書いてあるのでしょうか。
水に関係がある不動明王のようです。



見水不動明王内部。



JRの高架をくぐり梅小路公園へ。
ここは平清盛の邸宅があった場所。



「道元禅師示寂の地」の石碑。



説明板。
曹洞宗の開祖である道元禅師は、修行を積み深草に興聖寺(こうしょうじ)を、越前に永平寺を創建。(興聖寺は後に宇治に移転)
あまり知られていませんが、日本において洗面・歯磨きの習慣を広めたのは道元禅師だとされています。



一文字一文字をゆっくりと読みます。



木屋町五条を目指す途中で鉄輪(かなわ)の井戸がある命婦稲荷へお参りすることに。
「鉄輪跡」と刻まれた石碑が。



この奥にお住まいの方の表札があるので最初は入るのにかなり抵抗がありましたが、何度も来ているうちに慣れました。
しかし、なるべく物音を立てないように入ります。



石造りのキツネがお出迎え。
ここは日本の「丑の刻参り」発祥の地。
阿部清明の登場する能の「鐡輪」でも有名な場所。



命婦稲荷。
命婦稲荷社は1668年)に伏見の稲荷本宮に歓請してお祀りしたのが始まり。
御鎮座以来、鍛冶屋町の守護神として又家庭円満・商売繁昌の神様として町民により大切に守られてきました。
それ以前にこの地には「鉄輪塚」と呼ばれる塚と井戸がありました。
様々な経緯を経て、命婦人稲荷はいつしか忘れられた存在に。
しかし1935年にご神体が町内の蔵から発見され、町衆の熱意によりその年に現在地に再建されたのです。



能の「鐡輪」では、浮気性の夫に捨てられた女性が、夜な夜な深泥が池を越え縁結の神がいるの貴船へ。
やがて宣託があり、鐡輪の足に蝋燭を灯してそれを頭に載せ、加えて体中に赤土を塗り怒りの心を持てば願いはかなう・・・。
その後・・・・。
命婦稲荷社の再建工事の際、おびただしい数の鉄輪が発掘され、その鉄輪と共に「鉄輪の碑」も発掘されました。
その「鉄輪の碑」をご神体としてお祀りしたのが鉄輪社。
狭い場所ですが、ここには命婦稲荷と鉄輪社の2つの神社が存在します。



井戸。
浮気をされた女性が嫉妬のあまり男を呪い殺そうとして丑の刻参りをして鬼になりましたが、夫は清明にお祓いをしてもらい鬼になった女の呪いを防いでしまいます。
怒りのあまり女性はこの井戸に身を投げて死んでしまったといういわれがある場所です。
地下鉄の工事で水が枯れてしまい、今では全く水がない井戸。
「この井戸の水を相手に飲ますと縁切りできる」として有名だった井戸ですが、水がなくなってもどっこい!
ペットボトルの水をこの井戸のそばにしばらく置いてから持って帰る人もあるようです。
蛇足ですが、縁切りに加え「悪い縁が切れると新しい良い縁が来る」ということで、今ではここは縁結びのご利益もある場所だとされています。



「鉄輪の井」の由来。



命婦稲荷を後にして更に東進。
時間がもう遅いので今日はここまで。
木屋町五条下るにある河原院跡です。
左大臣源融の邸宅・河原院は、豪華さを誇った平安京の邸宅の中でダントツの一番で、その豪壮さは知れ渡っていました。
ここ河原院は、融の没後 霊や鬼が出没したことでも有名で「京の都最強の幽霊屋敷」だったとか。(@_@;)
「江談抄」「今昔物語集」「古本説話集」「宇治拾遺物語」など多くの話で幽鬼の出没が記されています。



河原院跡の説明。



帰路に。
高瀬側沿いに南進。
気がつくと、汗だくになったTシャツが乾いて塩分が濃い色のTシャツに白く浮かび上がっていました。
「良質の天然塩が生産された」(オイオイ)Tシャツを脱いで着替えてから、の〜んびりと歩くことに。



京都タワーが見えてきました。
帰宅してから見たニュースで、この京都タワーが京阪電鉄グループの傘下に入ったことを知りました。



お手洗いを借りるため京都駅ビルにある手塚治虫ワールドへ。
アトムの可愛い人形!



ハ〜イ!!



これは、確かジャングル大帝レオでしたよね。



ブラックジャック。



僕は無敵だ〜 鉄腕アトム〜♪



リボンの騎士。



懐かしい顔、顔、顔。
「三つ目が通る」の主人公の真ん中の目は、人の心を
読む目だったように記憶しています。



顔は覚えているのですが、名前は全然思い出せません。(;一_一)



立体画像。
レオ!?



ブラックジャック!!



リボンの騎士!



実際に見ている分には立体に見えたんですが、写した写真を見たら立体に見えていた部分はぼやけて写っていました。



古い歴史を持つ古都・京都。
知れば知るほど周れば周るほど、もっと知りたい・もっと周りたい場所が出てきます。
京都って素晴らしい!


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