今日は用事があり遠くには行けないので、宇治観光の定番基本コースを網羅する歩きをしました。

本日のウオーキング歩数、33,108歩。

2007年9月8日(土)




宇治橋通り商店街の西側の入り口を今日のウオークの起点とします。
本日の観光定番巡りの最初である宇治橋通り商店街へ。



商店街沿いでは井戸がある風景も見ることができます。



レトロな防火用水。



宇治橋通り商店街は道が狭隘。
かつての宇治は京の都と同じく、道が東西南北に規則正しく配置されていました。
ここはその道の中でもかなり大きいものでした。



JR宇治駅前の源氏物語のモニュメント。
匂宮と浮舟です。
宇治駅側から見たらとってもきれいなのですが、こうして反対側から見たらかなりさびが目立ちます。



昭和初期の建物。
今でも現役として使われています。



昭和初期には鉄筋コンクリート製2階建ての建物は珍しかったそうです。



建物の説明。



マンションの近くにこんなものが。



宇治橋通りと並行して東西に伸びる道路。
かつての宇治が「ミニ番京の都」であったことを示す道です。



平安時代の宇治の道路の説明。



宇治の風情ある景観を完全に破壊している高層マンション。
今の宇治市政は、共産党と新社会党(議員がわずか1名)それに保守系の無所属議員の1人だけが市政野党で、他は全て与党という情けない状態。
高層マンションの規制ができないだけでなく、今の市長は新しい消防庁舎を急傾斜危険地に隣接する崖の上に建設することを提案したりするなど信じられない行動を取っています。
最近では市の中心地である市役所の前に葬祭場の建設を許可し、その工事はもう始まっています。
葬祭場は必要かもしれませんが、どうして市役所のまん前に建設させるのか・・・・。
あるいは「法的には問題ないので致し方ない。」ということかもしれません。
かつての相模原市長は、ベトナム侵略に使うための米軍戦車の通行を道交法や市条例を適用するなどありとあらゆる方法を使って阻止しました。
正義感と勇気があり、そして知性に裏付けられた行動力がある素晴らしい市長でした。
それに比べて・・・・・。
私は郷土としての宇治は大好きですが、今の市政と市長は大嫌いです。



本日の観光定番巡り2番目の場所である上林記念館。
江戸時代の御用茶師・上林家の住まいを基にして開館されたお茶の記念館です。
上林家は幕府や朝廷にお茶を納めていました。
館内では、千利休、小堀遠州に関わる古文書や茶の道具などがみられ、宇治茶の歴史も分かりやすく理解できるようになっています。



本日の観光定番巡り3番目の場所である夢浮き橋ひろばへ。



説明。



源氏物語「夢浮き橋の古蹟」。



紫式部像。



本日の観光定番巡り4番目の場所である宇治橋。



日本最古であるという宇治橋の説明。



本日の観光定番巡り5番目の場所である宇治橋「三の間」。
「三の間」という名前は西詰から三つ目の柱間に設けられているからだとされています。
豊臣秀吉が茶会の際にこの三の間から水を汲ませたという話は有名。
かつてはここに橋姫神社の祠があったとされていますが定かではありません。



このようなせり出しができたのは江戸時代だとか。



三の間。



本日の観光定番巡り6番目の場所である場所着。
茶ダンゴを売る店や、お茶などを楽しむことができる茶店があります。



「右えしん院 左みむろ」と読み取れる石碑。



本日の観光定番巡り7番目の場所である橋寺放生院へ。



境内には干支による守り本尊が。



私の守り本尊はこれです。
しっかりとお参りしようっと!



日本最古の石碑とされる橋寺断碑。



橋寺を後に。
山門の向こうには宇治川の清流が。



本日の観光定番巡り8番目の場所である「さわらびの道」。



本日の観光定番巡り9番目の場所である源氏物語ミュージアム着。



とってもいい感じの館内。



無料ゾーンを通り図書室へ。



長居はできません。
外へ。



「さわらびの道」の石碑後方にある絵。



本日の観光定番巡り10番目の場所である京都府茶業会館。



お茶のてもみ製法の説明。



茶業会館の南側に隣接する宇治茶道場。
普段はこの辺りで無料で宇治茶の接待があったりするのですが、今日は土曜日なのになぜか閉鎖されていました。



本日の観光定番巡り11番目の場所である離宮水。
宇治名水の一つですが、宇治七名水は「阿弥陀水、泉殿、桐原水、法華水、高浄水、公文水、百夜月」の七つで、離宮水は入っていません。
何だかよく分かりません。
近々「宇治七名水巡り」をしてみようと思います。



源氏物語風?トイレ。。



本日の観光定番巡り12番目の場所である匂宮と浮舟の像。



「読み人知らず」の歌碑。



本日の観光定番巡り13番目の場所である朝日焼き窯元。



朝日焼きの窯元を通り過ぎ、本日の観光定番巡り14番目の場所である恵心院へ。



通称で「花の寺」とも呼ばれる恵心院。
今は花が少ない季節ですが、それでも山門へのアプローチで季節外れの山吹の花がお出迎え。



ここ恵心院は恵心僧都(源信)ゆかりの寺。
源信は浄土真宗で七高僧とされる一人です。
東福寺の近くにあった「羅刹谷」というところに住んでいた、人肉を喰らう悪鬼「羅刹」の魔手から逃れた比叡山の高僧は恵心僧都(源信)だとされています。



ノウゼンカズラが咲き乱れる境内へ。
本堂へお参りし、そして境内を周ります。



酔芙蓉(すいふよう)の花。
酔芙蓉はその名前通り、朝は花は白いのに夕刻から夜にかけてまるでお酒を飲んだようにピンク色、そして濃いピンク色へと変化。
これほど白い朝の酔芙蓉花を見たのは私は初めて。
もっともそれは、私が休日に行動を開始する時間が遅いってことゆえなんですがね。



恵心院を後にし、次の目的地である宇治神社を目指すことに。



本日の観光定番巡り15番目の場所である宇治神社へ。
宇治神社境内のウサギ型の手水鉢。



宇治神社へお参り。



宇治神社のすぐ近くにある宇治上神社へ。
本日の観光定番巡り16番目の場所である宇治上神社は世界文化遺産に登録されています。



宇治七名水の内 唯一残っているのが、ここ宇治上神社境内に今もコンコンと湧くこの桐原水。
生水は飲めませんが、加熱すれば飲用可能のようです。


拝殿。



宇治上神社を後にして、さわらびの道を通り大吉山(仏徳山)登山口方向へ。
本日の観光定番巡り17番目の場所である与謝野晶子の歌碑。



汗をカキカキ大吉山展望台着。
本日の観光定番巡り18番目の場所です。



朱色の欄干の朝霧橋の向こうに、世界文化遺産である平等院の大屋根が見えています。



宇治橋方向を望む。



大吉山展望台から興聖寺(こうしょうじ)方面へ下山。
本日の観光定番巡り19番目の場所である興聖寺の中国風山門をくぐります。



伏見城の遺構とされる建物である本堂へお参り。



本堂には「血天井」があります。
これがそうかどうかは分かりませんが、一応写真を写しました。
そもそも「血天井」とは何なのか・・・・・・。
1600年の関が原の戦いの前に、家康は上杉景勝討伐のため会津に向かいます。
伏見城の留守を守るのは鳥居元忠を初めとするおよそ2000の軍勢。
家康が京を離れた間隙を狙っていた石田三成率いるおよそ9万もの大軍が伏見城を攻撃。
鳥居元忠達は大奮戦したものの多勢に無勢、遂に力尽き、伏見城は落城。
落城寸前に鳥居元忠ら300名以上は自刃。
自刃の際の血痕や跡が縁側の板に染み付いていくら拭いても洗っても落ちなくなってしまいました。
ゆえに、縁側からその板を外して供養するためあちこちの寺に移設。
床を足で踏みつける床板では供養にならないので、各寺の天井にして手厚く供養したものがいわゆる「血天井」なのです。



境内の三面大黒天。



経堂。



興聖寺を後に。



演歌でも歌われる琴坂を下ります。
ここ琴坂は、本日の観光定番巡り20番目の場所になります



琴坂を下り終わりました。



観流橋下の激しい流れ。



左岸へ向かうため朝霧橋を渡ります。



本日の観光定番巡り21番目の場所になる平等院。
有料の境内入らず、左岸の堤防の上から鳳凰堂を望む。



ズーム!



本日の観光定番巡り22番目の場所である「あじろぎの道」へ。



宇治市営茶室「対鳳庵」(たいほうあん)前の歌碑。



市営茶室「対鳳庵」横の無料休憩所。
本日の観光定番巡り23番目の場所です。
香り高い宇治煎茶が無料で楽しめます。



喜撰橋へ。



喜撰橋西詰めの船着場から観光船が出発。



う、うまそう!
屋形船で昼食なんていいなあ・・・・・。
料理は丼物に見えますが、しつこく見ていて寿司だって分かりました。(^_^;)



船にはモーターがついています。
昔は「ろ」を使って船頭さんが船を漕いでいたんですがねえ。



塔の島へ渡り、本日の観光定番巡り24番目の場所である十三重の石塔を見上げます。
石川五右衛門がこの石塔の石を盗み出し、それが今では藤の森神社の手水鉢の台石になってしまっているようです。
盗み出された跡には新しく石がつけられました。
ゆえに、その石だけは他の石と少し色が違うそうです。
その新しい石は上から何番目か、あなたには分かりますか?
解答は、レポの一番最後の「あとがき」に書きます。



喜撰橋西詰め付近。
本日の観光定番巡り25番目の場所です。



源氏物語ゆかりの「宿木の古蹟」。



「宿木」の説明。



宇治川左岸沿いを南進。



釣り糸を垂れる釣り人。



本日の観光定番巡り26番目の場所である天ヶ瀬つり橋が見えてきました。



天ヶ瀬つり橋。



旧天ヶ瀬発電所の建物。



本日の観光定番巡り27番目の場所である天ヶ瀬ダムが見えています。
お腹がずいぶん減ってきたのでダムには行かないことにします。



紅葉谷へ行くため、宇治川左岸から離れ階段を上がります。



紅葉谷。
本日の観光定番巡り28番目の場所です。



紅葉谷を越えて視界が開けました。
そこには藤原寛子の死を悼んで建てられたとされる九重の石塔と五輪塔があります。
ここは本日の観光定番巡り29番目の場所になります。



金色院跡。
本日の観光定番巡り30番目の場所です。
ここ白川はかつて藤原氏の別荘地。
藤原寛子は1104年に、文殊菩薩を本尊とする7間4面の堂を建て金箔を貼りつめたので、「金色院」との名がつきました。
1460年に焼失した金色院は、復興されたものの寂れ果ててしまい、今は惣門があるのみ。
金色院の仏具類は、ここ白川の地蔵院に今も残ります。



本日の観光定番巡り31番目の場所である白山神社へ。



白山神社の強烈な階段。
ここ白山神社に限らず、日本の多くの古い社寺は「バリアフリー」に程遠いのが現実。
何かいい解決方法がないものでしょうか。



重要文化財に指定されている白山神社の拝殿。



「紀元2600年記念植樹」と刻まれた石碑の横に立つ大砲の砲弾。
あの戦争で本当に多くの人々の人生が無残にも引き裂かれ、あるいは破滅してしまいました。
「国民を初め、日本に住むほとんど全ての人が不幸になった」そんな戦争。
なぜ、そんな戦争に至ったのか。
言語を絶する悲劇に至るまでの当時の社会の仕組みの一端を、こんな場所でも垣間見ることができます。



白山神社付近の風景。



白川のメインストリートに出て西進。
中学校の少し下の学年だった子の実家前通過。
思い切り可愛かったあの子は今どうしているんだろう・・・・。



西進したのは間違いでした。
東進し坂を下ります。
素晴らしい白川の里の風景。



地蔵院へ。
本日の観光定番巡り32番目の場所です。
ここ地蔵院の本尊である銅製の阿弥陀如来は重要文化財です。
藤原寛子が建てたとされる金色院16坊のうちの一つとも言われます。
金色院に関わる仏像・梵鐘などを多く所蔵。
白山神社の神像・仏像も保管。
釈迦如来像など奈良時代〜平安初期の多数の重要文化財を所蔵。



地蔵院梵鐘。



とってもいい風景を眺めながら地蔵院を後に。
お腹がぺこぺこ!
早く帰って昼食にしようっと!



午後からは「源氏物語・宇治十帖」ウオークの予定。
用事を済ませて午後遅くからのウオーク開始。
本日の観光定番巡り33番目の場所である橋姫神社着。



夢浮き橋の古蹟。
「源氏物語・宇治十帖ゆかりの古蹟めぐり」を開始。



平等院表門通付近で雨が降り始め次第に雨が強くなってきました。
中学時代の実家前通過。
当時、とっても可愛かったあの子は今・・・・・。
当時、それなりに男前だった私は今・・・??(;一_一)



本日の観光定番巡り34番目の場所である平等院表門へ。



再び橋姫神社へ。
ここが「源氏物語・宇治十帖」の古蹟だとは認識していなかったので、再度の訪問。



降り出した雨を避けて平等院表門付近で雨宿り。
雨具を持参していません。
雨が小降りになったので小雨に濡れながら宇治十帖の古蹟巡りを再開。



世界文化遺産である宇治神社近くにある早蕨の古蹟。



早蕨の古蹟の説明。



大吉山登山口前にある總角(あげまき)の古蹟。



總角の古蹟の説明。



小雨だったので再び歩き始めたのに、かなりの雨が降ってきました。
雨に濡れながら源氏物語宇治十帖「蜻蛉の古蹟」着。



蜻蛉の古蹟の説明。
この後 三室戸寺を目指したかったんですが、かなりの雨が降ってきたために民家の軒先を借りて雨宿り。



夕陽は美しく輝いているのに・・・・。



雷鳴が鳴り響き大雨。



夕立だからすぐにやむかと思っていたのに、1時間以上もの雨宿りを余儀なくされました。
短パンとスポーツサンダルの足元を蚊に刺されながら小降りになるのを待ちます。



小降りではないけれど少し雨脚が弱まったので帰路に。
するとまたドバドバの大雨が。
アパートの駐輪場で雨風をしのぎ、やっとこさ小降りになったので大急ぎで帰路に。
宇治橋の上で「宇治川の水量が急激に増えます。ご注意ください。」との警告を聞きます。
どうやら天ヶ瀬ダムからの緊急放流があるようです。
本当に不安定な気候。



レポにあった「石川五右衛門によって盗まれた十三重の石塔の石」の場所は上から5番目だとされています。
石の色が違いましたか?
何度見ても、私は石の色が違うとは感じません。

地球温暖化の進行はこれからなので、今後益々天候は不安定になるはず。
温暖化による気温上昇によって、伝染病などが急増する可能性も大。
「経済活動に支障がある」という身勝手な理由で京都議定書を批准せず無制限に温暖化ガスを垂れ流し続ける超大国に対し、理にかなった論理的かつ厳しい批判を全くしようとしない、今の日本の与党政治家達は何を考えているのでしょうか。

今見ているニュースでは、改憲を具体化しようとしていた安倍総理の退陣が報道されています。
憲法を変え軍備を増強し、結果的に海外に今以上に派兵しなければいけなくなる状況をなぜあえて創ろうとするのかが、私には全く理解できません。
国内では凶悪な、あるいは倫理観の片鱗すらうかがえない犯罪が急増し無念の被害者の急増。
不景気等による自殺者の増加。
あるいは、最低限の生活保障さえされずに人間としての尊厳などないに等しい状態で孤独死する人達。
そうした人々にとって、改憲による再軍備の法的認知など何の意味も持ちません。

裏金、天下りにより外郭団体を何ヶ所も周って極めて非常識な大金を退職金として盗む「高級」官僚、補助金の不正受給。
極めつけは、与党政治家の滅茶苦茶な「政党助成金」(私達の血税)の使い道。
「国を守る」というのは、財政が危機的状況にある日本がアメリカの戦争に協力し無料でアメリカなどの軍艦に給油することなのでしょうか。
そうではないはず。
アメリカが起こした戦争に対して純度の極めて高い貴重な石油を天文学的な量とも思える程注ぎ込む余裕があるなら、日本政府はその資金を国民の幸せの実現にあてるべきだろうなあ・・・・。

犯罪被害者を減らし、日本に住む誰もが最低限の人間の尊厳を持って笑顔で暮らせる社会を造ることこそ「国(民)防」。
国連に対し世界一多額の負担金を支払っている日本は、質の高い外交を展開しながら国連と連携して自国の安全保障を図っていくというのが一番いいんだろうなあって私は思います。
収入の多い少ない、あるいは心身のハンディの有無などにかかわらず、誰もが人間としての最低限の尊厳を持って幸せに暮らせる社会がくれば、仮に日本への侵略があっても誰もが決してその侵略行為を許しません。侵略者に対し命を賭して徹底的に、かつ侵略者を追い出すまで抵抗し続けるはず。

人類を何十回も殺戮できる軍事力を誇る境最強の米軍が、イラクの政権と正規軍を自らの側につけながらなぜ苦戦しているのか・・・・・。
イラク人の人心を全く掌握していないから。と言うより人心の離反を招く行動を取っているからではないのかなって感じます。
逆に言えば、人心の掌握ができる素晴らしい政治が行われることこそ「国防」そのもの。
安倍総理退陣のテレビニュースを見ていて、ふとそんなことを感じた次第。


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