今日は、旧西国街道(山崎道)を追う第1回目のウオークを行いました。

本日のウオーキング歩数、46,912歩。

2007年9月24日(月)




正午少し前に京都駅着。
この時間なら第一旭・本店もさほど混んでいないはず。
少し待って店内に入り驚きました。
こんなものが!



注文の声を発しなくても「肉なし・大盛・ネギ多目・麺硬めですね。」と注文が通り、程なく注文の品が。
おいしそう!
これで、支払い金額が550円。
うまくて安い!



食事を終え、西宮に向かうために京都駅構内へ。
京都〜尼崎間の運賃は890円。
でも駅前の金券ショップで「昼特切符」を購入済み。
残念ながら「京都〜西宮」間の切符がなく京都〜芦屋」間の切符を購入。
京都〜芦屋間のJR運賃は1,050円ですが、それが昼特切符なら580円。
580円なら京都〜西宮間の普通運賃の890円より310円安いことになります。(^_^)v



西宮駅前。
ここは自転車で何回か通ったことがあります。



ウオーク開始。
でももう午後の1時半。



十日戎で有名な西宮神社着。



参拝。



変わった橋が。



橋の名前。
何と読むのでしょうか??



表大門の赤門。
豊臣秀頼が寄進した門とされ国指定の重要文化財になっています。



表大門の説明。



東西南北が分からない場所。
この「えべっさん筋」を旧西国街道と考えて歩き始めます。
しかし違いました。(>_<)



間違いに気づき元の赤門へ。
赤門前のこの旧国道が旧西国街道なのです。



赤門と旧西国街道の位置関係。



札場公園着。
蛭子大神伝説の碑。
札場公園は御輿屋伝承地とされています。
昔、漁師が沖で漁をしている時に変なものが網にかかったので捨てました。
ところまた別の場所で網にかかったので不思議に思い持ち帰りお祀りしました。
すると夢枕に神様が現れし「西へ連れて欲しい」と言われるので輿に乗せての地まで運んできたら神様が眠ってしまわれたので、ここで輿を休めたとか。
そして神様のお尻をつねって起こしたので、「オコシヤ」伝説ができたとか。



東川を渡ります。



JR西宮駅前を通り、青木町を北上。
国道171号線を渡ると西宮市民グラウンドへ突き当たりました。



市民グラウンドを東側から迂回。
天井川だった東川の堤防に生えていた榎がひっそりとたたずんでいました。(改修で天井川でなくなる)
この榎は旧西国街道を行き来する人々の目印であり、夏場の木陰は憩いの場でした。
しかしマンション建設のためここに移植され、榎はこの地で第二の人生(樹生?)をおくっているのです。



更に北上。
広田神社の常夜灯発見。
ここから旧街道へ正しく入るまで1時間を要しました。
この辺りは旧街道がとっても分かりにくい場所。



雨と汗でずぶ濡れになりながら散々歩きまわりますが、旧街道は見つかりません。
喉が渇いたので販売機でジュースを買って飲みながらふと上を見ると・・・・。
何と!「旧西国街道」の標識が!



1時間のロスを取り戻すべく速歩。
厄神さんの石碑を発見。



道標の説明。



西国街道の説明。



阪急・門戸厄神前通過。
こんな駅があることは初めて知りました。



西国街道の説明。
この辺りも分かりにくい場所。
駅横の踏み切りを渡ります。



2本の道標発見。



背の低い石碑。
「すぐか婦と山観音 是より十五丁」とあります。
か婦と山観音」とは、甲山にある神呪寺の山門のことのようです。



「左尼崎 大阪 伊丹 池田 京道 右西宮と刻まれた石碑。
正面には厄神明王道の文字が刻まれています。
 



二本の石碑の右側に少し入るとまた別の石碑が。



右厄神明王 左尼崎大阪道」と刻まれています。
石碑横の説明書きには「二つに折れて近くの溝に捨てられていたのを宮崎氏が拾われたもので、紛失寸前であったといわれる道標です。」との説明が。



石碑の近くで雨に濡れるハイビスカスの花。



雨に濡れるハイビスカスの花U。
同じ家の玄関に咲いていました。



石碑の説明。



最近は、道の連続性などから本当に旧街道かどうかが分かるようになってきました。
この道は旧街道にはあまり見えませんが、おそらく間違いなく旧街道です。



水道企業団に突き当たりました。
街道はこの敷地内のはず。



水道企業団の敷地を右に迂回するとこんな標識が。
この道は旧街道ではないので「企業団の中は通れないのでこちらが迂回路です。」と、いい子の皆さんはどうぞ読み変えてくださいませ。



この道はほぼ間違いなく旧街道。



山陽新幹線の下を通過。



西国街道の説明。



高校野球で名の知られた報徳学園。
こんな場所にあったとは。



報徳学園の正門。



校内には尊徳像が。



武庫川河原着。
「髭の渡し」へ。



髭の渡しの説明。



久しぶりに見る武庫川の流れ。



国道171号線の橋を渡り対岸へ。
髭の渡しの祠、



野良猫。
写真を撮ろうとしたらデジカメの電池が完全になくなりました。
猫にえらく警戒されていましたが、「電池がなくなったから交換する。写真を撮りたいのでもう少しここにいてな。」と声をかけて電池交換。
で何と!
依頼どおり猫は電池交換の間じっとしていました。
そして写真撮影。
写真のフラッシュが光った瞬間に、猫は待っていたように一目散に逃走してしまいました。



髭の渡しの説明。



「髭の渡し」から東進。
「髭の渡し」の名前は、ここに「髭茶屋」があったから。
髭茶屋の名前は、昔ここで安兵衛さんと言う人と徳右衛門さんの二人がここで茶屋を経営していたから。
安兵衛さんは立派な髭を生やしていましたので「髭茶屋の安兵衛さん」と呼ばれるようになり、それが茶屋の名前になったようです。
茶屋ではぞうり・わらじをはじめ、酒、一膳めし、菓子などを売っていました。




小さな祠。
阪神淡路大震災のためでしょうか。
大きなひび割れが。



猪名川の堤防を目指します。



手作り風の鳥居がありました。



常夜灯。



常夜灯の下にいた猫。
警戒しているのかいないのか、カメラを近づけても全く逃げるそぶりを見せません。
ただ顔の表情が何とも不満そうで、まるで「世の中全て面白くない。」とでも考えているような風でした。



旧街道である雰囲気が濃厚に漂う道。



国道を横断。



伊丹市へ。



師直(もろなお)塚。
足利の武将であった師直は1351年にここで最期を遂げました。
師直は足利家に仕え楠木正成を討つなどの大きな功績がありました



塚の説明。



この付近からこうした石碑が設置されていていい目印になります。



国道を横断し進みます。
通称「辻の地蔵さん」前通過。



辻の地蔵さんを過ぎて少し行くと左側に児童公園があり、その公園の中には閼伽井(あかい)の井戸があります。
行基がこの井戸の水で病人を治したと伝えられる遺跡です。



閼伽井の井戸の説明。



この西天神社前で再び国道171号線を横断。



この石碑で、次のポイントが長勢橋と西国街道顕彰碑だと分かります
でもかなり暗くなってきたので、果たして見つけられるかどうか・・・。



庚申さん。



混陽宿の説明。



旧西国街道の説明。



闇の中で街道らしい家風景を眺めます。



歌碑。



「すぐ中山 小浜」と刻まれた石碑。



これは比較的新しい石碑。



混陽宿の案内。



街道道筋の宿場一覧。



更に進み、千僧へ。
この地名は、行基が昆陽上池・下池などを造成し田を開いた工事の犠牲者を弔うため ここで「千僧供養」を行ったためについた地名だとされます。



千僧天神前通過。



路傍の石仏。



次のポイントは有馬道の道標。



これが有馬道の道標なのでしょうか。
暗くてよく分かりません。



大鹿着。



大鹿の小さな道の交差点にはこんな建物が。



大鹿の地名の由来。



次のポイントは伊丹坂。



猪名川を越えて来た旅人にとってはきつかったであろう伊丹坂。



伊丹坂の石碑。



平安中期の歌人である和泉式部の墓所。
小雨が降っており汗だくで、道は真っ暗。
とても寄る余裕などありません。



間もなく猪名川。



小さな休憩所のようなものがありました。



猪名川畔に着きました。
これからどうしようかなあ・・・・。



そうだ!
伊丹空港の着陸スポットに行ってみよう。
軍行橋を渡ります。
川幅の広い猪名川ですが渡しがなかったそうです。
だから旅人は歩いて川を渡りました。
俳人の松尾芭蕉もここを歩いて渡ったようです。



下河原着。
伊丹市都市景観形成建築物があるゾーン通過。




伊丹市都市景観形成建築物・指定第8号



こんな建物です。



下河原の旧地名の説明。



下河原の説明。



いったん池田市に入ってから伊丹空港の着陸スポットを目指しました。
しかし遠すぎると言うか時間が遅すぎると言うか・・・。
着陸スポット行きは諦めて再び伊丹市へ。
ここから北伊丹駅まで歩き帰路につきました。




旧西国街道(山崎道)は近場だけれどとっても趣がある場所。
近場の旧街道も素敵でとっても魅力だなって感じます。


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