今日は、第三次旧西国街道ウオークを行いました。

本日のウオーク歩数、43,573歩。

2007年9月29日(土)




JR京都駅に着きました。
阪急電車烏丸駅まで歩きます。
東本願寺前通過。



東本願寺前に咲く彼岸花。



烏丸から阪急電車に乗車。
阪急電車石橋駅着。



石橋は池田市になります。
石橋駅前の商店街へ。


写真右側に写っている「宮本むなし」へ昼食のために入りました。
変わった名前の店だなと前から思っていたんですが入るのは初めて。
結構安くで食事できました。。
きつねうどんは200円台。
私は「サバの生姜煮定食」を食べましたが、700円出すとお釣りがきました。



阪急電車宝塚線の西側が旧街道なのに東側を歩いてしまいました。
そのため瀬川・半町の立会駅と本陣跡を見損ないました。
進路を修正し旧西国街道へ。



牧落の八幡宮の鳥居前通過。



牧落の高札場跡。



高札場跡の説明板。



小さい石碑。
「みのをみち」と刻まれています。



ここは箕面・大坂道と旧西国街道の交点で、大きい石碑には「大坂天神四り はっとり二り」の文字が。



萱野三平旧邸を目指します。
ここから国道を陸橋で越え国道を少しだけ進んで旧邸を目指すことになります。



国道から再び旧西国街道へ。



旧街道らしいたたずまい。



実りの秋を実感する風景。



ズーム。



川を渡る橋のガードレール。
金属の質感を減らすため こげ茶色に塗ってあります。
こんな色のガードレールは初めて見ました。
旧街道のカラー舗道にこの色のガードレールは実によく似合います。



間もなく萱野三平旧邸。



この辺りのコメは「池田米」あるいは「箕面米」とでも呼ばれているのでしょうか??



とってもいい雰囲気の旧西国街道。



いいですねえ。
実にいい!



萱野三平旧邸。



旧邸の説明。



入場フリー(無料)の萱野三平旧邸へ。



ここはもう箕面市なのですね。
ここがこのように立派な姿で保存されているのは、実に多くの人々の力によるものだと改めて感じます。



邸内の庭園。






長文の説明に、萱野三平に対する人々の思いが伝わってきます。



邸内。



「辞世」の文字から、萱野三平の悔しさ無念さが読み取れます。



萱野三平邸を後に。



大きな道路を横切ります。



交通量が多過ぎて、旧街道から大きな道路を横切るのは不可能。
近くの信号まで歩き道路を横断。
大きな道路を横断した後、再び先ほどまで歩いていた旧道の向かい側辺りへ。
そこから先に細い道が伸びていたのでその道を進みます。
道脇に石地蔵を発見!
この道が旧街道だと確信して歩きます。



小さな川を右に見ながら道は伸びています。
ところが。
道脇の畑で仕事をしていた方に、「この道は旧西国街道ですよね?」と尋ねると「違いますよ。」って答えが。(>_<)
「この少し先に橋があります。その道が西国街道です。」って。



橋を渡る道と合流。
帰宅して調べた結果、この道が確かに旧西国街道とされています。
でも、道の連続性を考えると、この道ではなく私がここまで歩いてきた川沿いの道が旧街道だと私には思えるのですが・・・・。
真相やいかに。



箕面摂津線(119号線)を横断。



勝尾寺表参道との分岐点。



道標。



この場所から勝尾寺までの距離は、ここの大鳥居を起点とすると三十六町(約4km)です。



勝尾寺表参道と大鳥居の説明。



仲良く並んで二本立つ道標。



1666年に建てられた大鳥居。



大鳥居を後にして更に前進。
防火用水の桶が玄関前にいっぱいぶら下げられている家がありました。



旧街道の雰囲気が残る道。



まさに旧街道。



常夜灯。



常夜灯の前に伸びる旧西国街道。
カラー舗道という目印があるので迷うことはありません。



天気がよければ最高の風景のはず。
残念な天気です。



曲がり角に立つお堂と石碑。



「左京ふしみ」と刻んである石碑。



この常夜灯は疾病の侵入防止を祈願して建てられたもの。



春日神社お旅所へ。



お旅所の説明。



お旅所の説明に「楠木正成が水を求めた井戸がある」と書いてあったので少しだけ後戻り。
再び、旧西国街道の曲がり角へ。



このお堂の中に楠木正成が水を求めたと伝えられる井戸があるのでしょうか
お堂の中が見えないのでそのあたりを確認する術はありません。



大阪モノレールの線路下通過。



豊川駅。
ということは、ここはもう箕面市ではなく茨木市。
箕面市東端の小野原東町を過ぎ、茨木市西豊川町に入りました。



街道の案内板が様式が変わりました。



街道沿いの石碑。



豊川自動公園内にある春日神社の御神灯。



春日神社前通過。



宿川原西会場着。



「右かつを寺」と刻まれた道標。



宿川原西会場の敷地内には、勝尾寺の道標である石碑が何本もあります。



この石碑もそうです。



これも。



宿川原西会場を後にし、郡山宿本陣(椿之本陣)着。



椿之本陣は史跡。



郡山宿本陣(椿之本陣)の説明。



椿之本陣の石碑。



椿之本陣の入り口を見て驚きました。
写真には撮りませんでしたが、ここ椿之本陣跡には表札がかかり現役の住居として利用されているようです。



椿之本陣を後にして、道端の石碑を見ながら更に速歩。



多くの石碑がありますが、時間がかなり遅くなってきたので石碑に刻まれた文字を読まずに先を急ぎます。



いくら暑くても、街道はもう既に秋の風情。



1571年に和田惟政を白井河原の合戦で討ち取り、その後茨木城主になった中川清秀の由緒地へ。



中川清秀由緒地の石碑。



中河原の説明。
今回の旧西国街道ウオークで、伊丹に下河原という場所があることを知りました。
そしてここは茨木市の中河原。
直接の関連はないのでしょうが、「川の近く」だ(った)ということはきっと共通しているはず。



あまり知られていませんが、茨木は日本有数の古墳群がある場所なのです。



「大田(おおだ)の一里塚」と呼ばれる場所着。
ここが一里塚かどうかは、はっきりしているわけではありません。
しかし、芥川の一里塚からおよそ一里の位置にあることや、榎があることから「一里塚」だと推測されています。
榎の古木はこんな状態でした。



大田一里塚にある石地蔵。



こんな変わった榎もありました。
横にずっと伸びています。



まずは横に長〜〜〜〜



〜〜〜〜く(某金融機関のコマーシャル風に)伸びて。



そして榎は上へと伸びていきます。



大田一里塚を後にして更に先へ。



字が薄くて読みにくいのですが、「雲見坂」と書かれています。



雲見坂の石碑。
この辺りから太田城主が、雲の動きを見て天気や戦の戦術を判断したため、この名前が伝わったとされます。
石碑には「右 とん田 三しま江  左 京 ふしみ道」と刻まれています。



大田神社へ至る道。



大田神社の神灯。



更に進みます。
こんな大学があったとは・・・・。
今日始めて知った大学です。
でも、とってもいい名前。
大学名をそのままの音(おん)で英訳すると「Love college」です!



この辺りでは多くの石地蔵を見ることができます。



石碑がありました。
何と刻んであるか全く分かりません。



もうすっかり暗くてはっきりとは読めないのですが、「右 芥川 山崎 京  左 豊川 池田など」との文字を読むことができます。



祠の中に石地蔵が。



太子堂前通過。



太子堂前の石灯篭。



芥川を渡ります。
この芥川では、1953年の大水害で堤防が決壊。
1953年の大水害で宇治川やこの芥川などの堤防が決壊したため、枚方大橋の上から水に触れることができるほど増水した淀川の堤防が決壊を免れたのです。



芥川一里塚への案内。



橋を渡った東詰の右側には、享和元年と神峰山毘沙門天道右と刻まれた石碑が



反対側の左側には橋詰地蔵尊が。



近くにこんな石碑も。



橋詰地蔵尊の向かいにもこんな地蔵様が。



間もなくJR高槻駅。



芥川一里塚着。



芥川一里塚のお堂。



芥川一里塚の説明。



芥川の商店街へ。



JR高槻駅着。
さて!帰路に。
今日は土曜日。
先日、金券ショップで購入した「昼特切符」を使います。
「昼特切符」は土日と祝日なら夜間も使えるのです。(^_^)v



旧西国街道(山崎道)の完全歩破は、間違いなくあと一度で終了するはず。
旧街道の魅力は尽きません。



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