今日は朝から雨。
昼食を終えた時刻から雨が小降りになったので、午後から4回目の旧西国街道ウオークを行いました。

本日のウオーク歩数、30,022歩。

2007年10月8日(月)



午後2時過ぎ。
JR高槻駅着。



高槻駅に着いてから芥川一里塚の方向を見当をつけて探したんですがいっこうに見つかりません。
高槻駅周辺はかなり広く商店街もいっぱいあるので、先日歩きを終えて駅に向かった際に通った商店街がどこだかさっぱり分かりません。



30分以上探したでしょうか。
やっと芥川の一里塚を発見。
芥川商店街入り口に「芥川仇討ちの辻」の祠が。



「芥川仇討ちの辻」との説明。
およそ300年前に、石見国で2人の若侍が美しい稚児を巡っての争いがあり、後に14歳の少年が見事その敵を討ちます。
討たれた侍の懐には何と「自分は討たれて当然であり討つ方に咎はない。」という内容の書状を持っていたそうです。
この仇討ちは、双方とも当時の武士道を貫いた美談として今に語り継がれているとか。



芥川仇討ちの辻を越え古い家並みと近代的なビルの両方を眺めながら少し歩くと、道はふたつに別れていました。
何の案内もないので迷ったのですが、迷った挙句に右の道を選びました。
結果的にはその右側の道が旧西国街道でした。



「能因法師の碑」前通過。
能因法師は中古三十六歌仙の一人で、若くから作歌に励みました。
平安時代有数の歌人で伊勢姫を尊敬し、生涯心の恋人にしたんだそうです。



旧西国街道の路傍の石地蔵。



旧街道らしい家並みはほとんどありませんが、それでも道の狭さと時おり見かける蔵のある家に旧街道の雰囲気を感じます。



磐手社神社御旅所通過。



旧西国街道は、大阪府道67号線でした。



「山手町薬師堂」着。
説明を読みます。



山手町薬師堂。



桧尾川橋。



この辺りまで来ると、旧街道沿いらしい家並みがかなり増えてきます。



田中(でんちゅう)寺。



田中寺のすぐ隣には畑山神社が。



畑山神社がある場所は梶原寺の跡なのです。



畑山神社。



少し歩いて一乗寺着。



一乗寺の説明。
題目宝塔と釈迦多宝二仏をご本尊とする千観の草創で、応永34年(1427)日親上人に帰依して建立したお寺であると書かれています。



一乗寺。



梶原の一里塚跡着。
高槻市内の2つある一里塚は2つ。
芥川の一里塚跡と、そして次のここ梶原の一里塚跡です



黄色いオシロイバナの花。
黄色のオシロイバナは久しぶりに見ます。



高槻市を過ぎて、そろそろ島本町。



島本町に入ったことを確認。



桜井駅址。
工事中でこの、この石碑を含めた周辺がフェンスで閉鎖されていました。
それでも何とか撮影に成功。



桜井駅址の説明。



ここ桜井駅址は、楠木正成と正行(まさつら)親子の決別の地なのです。



父子決別の地の碑。
1336年に西国から京に向かう足利尊氏の軍を兵庫に迎え撃つため西へ行く途中で、すでに死を覚悟していた正成は我が子正行を桜井の駅に呼び寄せ、今後の生き方など遺訓を与え河内の国に帰らせました。



駅址の石碑。



「右 京」の文字が見られる石碑。
東南側から見ると、「右 柳谷 左 西之宮」と刻まれている文字が読み取れます。



旧街道らしい雰囲気が漂います。



水無瀬神社へ寄ってみることにします。



水無瀬神社の門には「石川五右衛門の手形」が残っています。
五右衛門は神宝の太刀を盗もうとして数日間忍びうかがうも神威にうたれ、一歩も門内に入れずにこの門に手形を残して立ち去ったとされています。



五右衛門の手形。
薄暗くて肉眼では手形は見えませんでした。
写真を撮ってみたんですが、フラッシュの光で防護カバーが見えているのみ。(T_T)



境内の「離宮の水」の説明。
この水は全国名水百選にも選ばれており、常に多くの人々がこの水を汲みに来ています。
私も順番に並び、空になった500ccのペットボトルに水を満たしました。



淀川の対岸に八幡の橋本の家並みを見ながら進み、かなり大山崎町へ近づきました。
旧街道の雰囲気が極めて濃厚な家並みになってきました。



大阪(摂津)と京都(山城)の国境にある関大明神社着。



関大明神社の説明



関大明神社の隣にある「ここより東山城の国」の石碑。



大阪府島本町から京都府大山崎町へ。
京都府に入るとすぐに離宮八幡宮があります。



平安時代には多くの施設があり商工業が発達した大山崎の地。
そのここ大山崎で、僧正壱演が建立したといわれるのが相応寺。
相応寺の中には三重塔があり、寺が衰退すると共に塔も朽ちてしまいます。
離宮八幡宮の門前に残っていた塔心礎は、いつのまにか門内の現位置に置かれます。
柱が建っていた円形の部分は手水鉢として利用するためにか、扇形に彫られていました。



塔の心礎は「かしき石」と呼ばれていました。



塔心礎「かしき石」の案内。
石は市の指定文化財になっています。



境内に並ぶ6基の石灯篭。



いくつもの石碑を眺めながら速歩。



観音寺鳥居前通過。



黒門跡へ。
説明を読みます。
離宮八幡宮の油座の構成員である神人たちがその特権をバックに大きな富を築いていたようです。
八幡宮の西は五位川、東は水無瀬川までを神領として幕府から認められ、その神領内に神人達が住んでおり、その西と東入口にはそれぞれ西の黒門、東の黒門が設けられ、各々番人がおかれよからぬ者の侵入を監視していたようです。



黒門跡の石碑。



大山崎町を後にして長岡京市へ。
長岡京市に入ってから「新西国街道」との標識を見つけますが、旧西国街道はどこなのか分からなくなりました。
もう暗くなり始めたので、JR長岡京駅を目指すことに。



小倉神社の御旅所前通過。



「神足ふれあい町家」。



長岡京駅着。
何と、ここで「西国街道」の石碑を発見!



駅前の光溢れるモニュメント。
木の切り株らしきものが中心にあります。



JR長岡京駅構内へ。
帰路に。




今回のウオークのターゲットである旧西国街道に限らず、旧街道は実に魅力的。
古い物がこんなに多く残っていることにも感動。
あと1回で確実に旧西国街道(山崎道)ウオークを終えます。
ゴールは、京都の東寺。
長岡京に入ってから道が分からなくなったのがとっても残念なので、最後のウオークでは道が分からなくなった場所からスタートし、「一文橋」「向日神社」を経て久世橋・羅生門と進みゴールの東寺を目指そうと思います。



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