今日は、旧西国街道(山崎街道)ウオークの5回目。
今回でウオークはフィナーレを迎えました。
朝から降り続いていた雨が午後遅くなってやっと上がったので行動開始。
地図なしというアクシデントに見舞われながらも、何とか全線歩破を果たすことができました。
本日のウオーク歩数、約15,000歩。
2007年10月27日(火)
JR長岡京駅着。
奈良線に乗ってから再び雨が降り始め、京都駅に着いた時点で本降り。
「傘なしなのでどうしようかなあ・・・」と思いながら長岡京駅に着くと。
雨がやんで青空さえ見えていました!
ウオーク開始。
地図なしです。(;一_一)
持参した地図を電車内で頭に入れようと広げてビックリ。
慌てていたのでこれまでに歩いた部分の地図を持ってきたようで、今日歩くコースの地図は全くありませんでした。
旧街道らしい家並みを眺めながら速歩。
神足(こうたり)商店街。
ここは旧西国街道なのです。
しかしこの名前・・・・。
結構いいですね。
「買(こ)うたり商店街」ですがな。
車で通り過ぎるだけなら、きっとこんな風情を楽しむことはできないことでしょうね。
一文橋方向へ。
巨大な一文銭のモニュメントがある一文橋着。
一文橋は室町時代頃に造られた有料の橋とされます。
大雨のたびに流されていたので、その復旧工事費のため、通行人から一文を取り始めたのが橋名の由来だとか。
橋を渡ります。
一文橋を渡ると、幹線道路に行くまでに「西国街道」の案内碑がありました。
一文橋が架かる小畑川と府道のと間に伸びる旧西国街道を少し歩くとこんなものが。
「ラーメン缶」は話には聞いていましたが、実際に見るのは初めてです。
ラーメンだけでなく、うどんやおでんもあるんですね。
一体どんな味なんだろう!?
敷き石が美しい下川原。
ここ下河原は、秀吉が小畑川の流路を西に移して道を拡幅すると共に堤防を築きいた時に出来た広い河川敷でした。
その河川敷が今では宅地化され、それゆえ下河原の地名が地今でも残っているようです。
素晴らしい旧街道の風景。
旧街道を歩くと、こうした風景を点でなく線で見ることができます。
「確かに旧西国街道を歩いている」と感じながら歩きます。
愛宕神社常夜灯。
鈴吉大明神前通過。
石塔寺にお参り。
向日市商店街。
ここも旧西国街道です。
明治神宮のモデルになったとされる向日神社着。
舞楽殿。
向日神社本殿。
本殿は三間社流造で室町時代の流造様式の代表的な建造物として重要文化財に指定され、そして明治神宮本殿造営の際にはここ向日神社本殿をモデルにしたとされています。
かなり広大な境内には様々な建築物が。
向日神社をあとに。
西国街道の案内。
地図がないままの行動なので、こうした案内は本当にありがたい限り。
京都府指定文化財の須田家住宅。
新しい石碑には、「右 西国街道、中 あたごみち、左 たんばみち」 と旧街道名が刻まれています。
須田家住宅の説明。
路傍の石地蔵の祠が、ここが旧街道であるという雰囲気を感じさせてくれます。
JR東向町の踏切を越えJR向日駅前着。
いったいこれは何だろう??
「かぐや姫時計」でした。
時間が来れば、おそらくこの部分で「かぐや姫」を見ることができるんでしょうね。
JR向日駅。
きれいな花が。
ヒマワリ系でしょうか。
JR向日町駅から先には西国街道らしき道は見当たりません。
地図なしの今日のウオークで最大のピンチを迎えました。
お店があったので抹茶アイスを買って食べます。
食べながらお店の人に西国街道のことを尋ねると、「そこの地下道をくぐるんですよ。」と教えてもらいました!
やった〜!
ウオーク再開。
「西国地下歩道」へ。
先を急ぎます。
厳島神社へ少しだけ参拝。
拝殿へのアプローチが長かったぁ。(>_<)
京都久世郵便局前通過。
なぜなのかは分かりませんが、旧街道沿いには郵便局があることが多いのです。
久世橋至近に建つ愛宕永代常夜灯。
夕刻を迎えた久世橋着。
不安定な天候だった今日、夕刻に虹が出ました。
建物の間から部分的にしか見えなかった虹を、久世橋の上から見ます。
久しぶりに眺める虹。
♪あなたをほんとは さがしてた
汚れ汚れて 傷ついて
死ぬまで逢えぬと 思っていたが
けれどもようやく 虹を見た
あなたのひとみに 虹を見た
君こそ命 君こそ命 わが命〜♪
などとニヒルに口ずさみながら夕景を眺めます。
久世橋を渡りきり、東詰めで橋の下をくぐります。
久しぶりの自転車道。
久世橋を渡った後、旧西国街道は桂川沿いの自転車道と国道171号線の間の道のはず。
それでも地図がないので確信が持てないままに歩きます。
日向地蔵前着。
やはりこの道が旧西国街道でした。
日向地蔵にお参り。
国道171号線を渡ってから先の道が分からなくなりました。
立ち止まってじっくりと考え、「道の連続性」を念頭に入れながら「国道171号線を渡ってそのまままっすぐ」と判断。
先を急ぎます。
愛宕常夜灯の碑を発見。
やはりここが旧街道でした。
黄昏時に知らない道を歩く・・・。
何だかとっても遠くに来ているような気がしてきます。
西大路通りを横断
何と「西大路通西国街道」の文字が!
九条御前に出ました。
九条御前から九条通りの北側の道を東進し、唐橋小学校近くの西寺跡へ。
西寺跡の石碑。
東寺はよく知られていますが、西寺があったことはあまり知られていません。
西寺跡近くの新聞販売店。
「羅城門販売店」です。(@_@;)
ちなみに。
「羅生門」と書かれたりもしますが、正しくは「羅城門」(らじょうもん)です。
羅城門跡着。
児童公園の中にあります。
羅城門跡の説明。
羅城門跡南側にある「矢取地蔵」。
矢取地蔵尊の地蔵道前。
都の守護のために建立された東寺と西寺。
嵯峨天皇の時代に、東寺は弘法大師空海に西寺は守敏大徳に与えられます。
二人はライバル関係にあり、824年の干ばつを解決するため神泉苑で雨乞いをすることになります。
まず守敏大徳が7日間雨乞いをしますが、雨は降りません。
次に空海が雨乞いをしたがやはり雨は降りませんでした。
「こんなはずはない」と不思議に思った空海は2日間延ばしてもらいお堂にこもりました。
雨を降らす龍を探してみると、く守敏によってほぼ全ての龍が封印されていたのです。
空海はあきらめず、唯一つだけ守敏が封じなかった善女龍王を見つけ出し、その龍を呼び出して空海は3日3晩都に雨をもたらすことができた。
おもしろくない守敏は空海をねらって矢を放ちますが、その矢を身代わりとなってうけとめたのが地蔵菩薩でした。
ゆえにこの地蔵菩薩は「矢負い地蔵」と呼ばれ始め、いつした「矢取地蔵」と呼ばれるようになりました。
地蔵道の中には羅城門の復元模型が。
矢取地蔵尊。
九条通り北側の細い道を東進し、旧西国街道の東の起点である東寺を目指します。
小さな地蔵堂がありました。
ゴール!
東寺に着きました。
東寺の山門はもう閉ざされていましたが、五重塔が美しくライトアップされているのを道路から見ることができます。
重文の慶賀門。
東寺(教王護国時)は世界遺産に指定されています。
趣きある案内石。
京都駅ビルの近鉄名店街。
さて、帰ろうっと。
旧西国街道を完歩しました。
フィナーレのウオークは結局地図なしでしたが、それでも今まで一番と言っていい程 全く道を間違えませんでした。
何でかなぁ・・・????
それにしても。
旧街道の魅力は本当に尽きません。
最高!
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